駅ピアノなるテレビ番組がくりかえし放送されている。はじまった当初は
海外の空港や駅に置いてあるピアノを旅人たちが思い思いの曲をそれぞれ
演奏していくというものであったが、今や国内各地でもその拠点は広がって
いるようだ。
演奏しているとときに、通行客や待合人から拍手が沸き起こる・・。
その光景はちょっとしたドラマ。に見えた。
そして、実際、パリの東駅だったか。そこの待合室でテレビ番組と同じように
少し古びたアップライトのピアノがおいてあったときは、思わず弾こうかと
思い、でも、やめた。
旅に疲れて眠りたい人もいるかもしれないし、音楽が嫌な人もいるかもと
思ったからだ。
公共の場所は、コンサート会場とは違うし、演奏を聴くために集まってきた
人ではないので・・・ととっさに思った。
それ以来、そういう場所をみつけても、弾かないことにしている。
ある仲間が渋谷駅に隣接するビルの中においてあるピアノを見て、
「マーサさん、あそこで弾いてくれたらいいのに」
と言ってくれたが、「いや。いいわ。」と笑って済ませた。
一方、実家のピアノ部屋は、もともと親が私がいつかレッスンをするために
帰ってくるだろうと思って、しつらえた大きな部屋である。
田んぼの前に建った家なので、多少の音は大丈夫としつつも、
一応、二重窓など対処はされている。
窓を開けて、開放感に浸って演奏することはできない。
雨戸を締めきって演奏する方がよりいいが、気分が下がるので、それはせず
窓を締めきって演奏している。それでも近隣への音漏れは気になる。
時々、隣のおばさまにお会いする。
挨拶の流れで
「ピアノの音、すいませんね。」
というと、
「いやいや、私にとっては癒しだわ。今日も息子が帰ってきていて
『お母さん、ピアノ?いい音がするね~』と一緒に聴いてたんよ。」
との言葉に安心する。
お隣さんは音楽が好きな方なのだ。良かった。
でも、そうではない場合もある。事件になることもある。
人前で演奏することを経験すると、聴きたい方にだけお届けしたい。
騒音になっては、絶対にいけない。
どんな音もその人によって、受け留め方が違うのだ。
そんな意味から、大勢の人が行きかうターミナル駅で、大きな音で
ピアノを弾いている場合は、その音が雑踏に消されることもあるし、
結局、自分のために弾いているのかなとも思うことが多い。
駅が町が自分の部屋になっている。私にはそう思える。
それはいいとも、そうでないとも、両面あると思っている。
これはもちろん人によって受け止め方は違うので、なんともいえない。
音は、望まなくても耳に入ってくる。
そこを忘れずに。
それにしても、親が遺してくれたピアノ部屋は
今となれば、ありがたい。
マンションではできないことができる。
いつの間にか、単なる空き家ではなく、ピアノスタジオになりつつある・・。
音コミュニケ―ション。迷惑にならず、快適に癒しになるように。
公共空間と音と癒しと・・・。
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