「無の境地」と自由を得られるよう。

最近、ヴァイオリニストたちの演奏を聴きながら、音色とともに表情を観察する
ことが多い。目を閉じて、ときに苦しそうな顔、ときに至福の顔・・・・。
前を向いて演奏するため、その表情も音とともに、聴き手にインプットされるのだ。
演奏家がその曲に、自分の音にどう魂を傾けているのか・・がわかり、釘付けになる。

そして、その表情にはその人の生きざま、歴史が刻まれていることを思うと、
演奏家という仕事、生き方のすばらしさを感じ、深い感動をおぼえる。

韓国人の著名ヴァイオリニスト チョン・キョンファ。できれば、一度、生の演奏を
聴きたい演奏家のひとりであるが、たびたび拝聴する映像からでも、
突き抜けた才能を感じることができる。
12歳から単身でNYにわたり、勉強を重ねてきたという人生。
若いときは、一音でも間違える自分が許せなかったという。

でも、今は肉体の限界もあり、それは無理。
それよりも聴衆と瞬間の感動を分かち合うことが一番。それを大切にしたいという。
そして、演奏をしていると「無の境地」を感じるという。
無の境地。それは、自由だという。
それは、若いときは、感じなかったこと。
年を重ねて初めてわかってくることかもしれない。

若いときは、ある意味、不自由だったのかもしれない。自分もある意味そうだった。
でも、だからこそ、当時、がむしゃらに練習したのだろう。
だからこそ、上達した。
若い日々は、技術の時代。うまくなるための不自由な時代。受験生もある意味そうだ。

年を重ねて、自由を得る。
素晴らしい。
私も、技術的にはもうボロボロで、情けない限りであるが、
でも、チョンさんと同じく、聴き手(お客さま)とかけがえのない瞬間を分かり合うことの
すばらしさは理解できるし、
誰にも邪魔されない「無の境地(=自由)」の存在も、
なんとなく感じることができる時がある。

人は年を重ねると、肉体こそ不自由になるかもしれないが、
自分次第で、心の自由を得られるのだと、
彼女の深い音色と言葉をいただき、改めて思った次第。

素晴らしき人生。見習いたい。
おっと、私はまだまだ努力が足りなさすぎる。
ずっと絶え間なく努力した人こそ、真の自由を得られるのだと思う。
まだ、これからでも、間に合うかな。

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