知って生きるか、知らずに生きるか。

数年来、継続的に受講している大学の講座がまた始まった。
講師は、尊敬し応援しているジャーナリストの横村出さん。
4回で完結するプログラムであり、またコロナのおかげ?で
オンラインで受講することができるようになり、大変ありがたい。

テーマや内容はもちろんであるが、講師の仕事への向き合い方も
勉強になり、知識を得るだけでなく、自分自身にとって毎回
大変、大きな学びになっている。
日頃、自分が接する世界とは違う世界で活躍されている方、そして
豊富な取材経験がある方からの生きた情報を得られることは、
大変貴重で、刺激的である。
そして、人に伝える仕事をする上で、伝え方についても参考
になることが多い。

さて、今回学んでいるのは、戦争とジャーナリズム。
まさに今の世界情勢のなかで、報道とはどうあるべきか、伝える
とはどういうことか?、目の前の現実をどうとらえ、何を発信す
るのか?人々の心に刻むのか。
戦争について綴った作家たちの作品から考え方、そのメッセージ
を事例として、学び生かすというものだ。

今回、もっとも衝撃的だったのは、今ウクライナの情勢に接し、
こんなことが起きてよいのかと驚く日々であるが、
実はこれは1960年代に起きたベトナム戦争と重なるという
話。大国が自国の覇権争いのために、小国を舞台に世界を巻き
込んでいる。どこの大国が仕掛けているかの違いではあるが、
結局、過去の教訓は、反省され世界平和のために生かされるのではなく、
大国たちの覇権争いに利用されているという見方。

恥ずかしい話、ベトナム戦争のことは正直、自分が幼いときの、
しかも外国の戦争であり、ほとんど知らないで育った。
それは日本に、自分に関係ないと思っていた。

一方、ウクライナのことはこの情報社会のなか、操作され続けながらも
日々、世界中から情報は入ってくるため、自分にとっては現実の世界。
それが、数十年前の悲劇とつながっているとは・・・。
さらに今回のウクライナ戦争では、情報化の加速、テクノロジーの進化で
事態はエスカレートし、恐ろしい結末を想像してしまうほどだ。
人間は同じ過ちを繰り返している。
・・と、このことを知ることはショックである。

物事を知ると、自分の中の世界が、世界観が広がる。
この世界のなかでどう生きていけばよいかに
ついて、俯瞰して考えるようになる。
でも、不安や懸念はつきまとい、楽しいばかりではいられない。

一方、何も知らなければ、また違う生き方になる。

学ぶということは楽しいだけなく、苦しいこともある。
しかし、知るということは間違いなく自分の成長につながり、
生き方にプラスの影響を与え、ときに新たな道を示してくれる。

だから、私はこれからも、知ることを止めず、動くことを止めず、
前に進み続けたい。

知るべきか、知らないで生きるべきか。
もちろん内容次第。
その選択は自分次第。

自分にとっては、生きるとは学ぶこと。

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