みんなの〇〇

誰かの母親になることもなく生きてきた。
そして、わが人生はとっくに、旅の終点に向かって折り返している。
これでいいと思っているので、それはそれとして、
数年お会いしていない、親しくしてきた年下の友人からこんなメールが届いた。
年賀状を見て、今年が25周年ということを知ってくださってのメッセージだ。

「マーサさんのお仕事は、誰かを応援したいという気持ちが根底にあると
私は認識しています。少なくとも25年間そのお仕事を続けてこられ、
私もその応援を受けている一人だということが嬉しいです。
日本国内はもちろん、きっと世界中に老若男女、私の兄弟みたいな人がいて、
さながら、マーサさんは皆のお母ちゃん的な存在なんだろうなと思いました。
(個人の感想です)
これからも、どうぞ優しく見守って頂けると幸いです。」
という内容だ。
へえ、親子ほど年が変わらない、妹のような存在の人に、かあちゃん!と言われた。
思わず、笑みがこぼれた。そうなんや~。

うれしく思うと同時に、
以前、自分のことを「みんなの先生」と言ってくださった方がいたことを
懐かしく思い出した
新潟で広報の勉強会を長年させていただき、多くの企業さんと接していた時代。
ある受講生の企業の方がそんな風に言って下さっていたことを・・・。
その方もご自身が学校の先生をされていたから、先生という言葉に馴染みがあった
のかもしれない。

みんなの母ちゃん、みんなの先生、みんなのおねえちゃん、みんなのマーサ。
なんでもいい。
みんなのというところが、とてもとてもうれしい。
そんなうれしい気持ちで2月が始まった。
12分の2か月目。カレンダーもめくって、さあ、元気に笑顔でスタート!

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