先日、とある人との会話で、余命宣告の是非についての話題
になった。
今の医療では、それが義務付けられているのか、
とにかく患者の家族にはそのことを告げられ、さて本人には。
ということになるが、
ある方は、ご家族本人に余命宣告をしたことで、それがショック
で寝込んでしまい、結局寿命をさらに縮めてしまったとの
ことで、それ以後、余命宣告には反対。もし、他の家族に
そんなことがあっても、本人には言いたくない。
といったそんなお話であり、ずっと自分の中でそのこと
が忘れられずにいた。
自分が本人だったら、余命を知りたいだろうか。
家族だったら、どうするだろうか?
余命がわかる病気以外の場合、人はいつ果てるか
わからない。10年後かもしれないし、明日かもしれない。
わからないからこそ、今日1日をしっかり生きようと
思っている。
でも、実際自分が不治の病に冒されてしまった場合は
迫る最後の日のことを知りたいだろうか?
今のところは、応えはNOである。
明日死ぬかもしれないが、生きるかもしれないと
思って生きている方が、自分は幸せのような気がする。
知らない方が、希望を感じられ、生きがいを最後まで
持てるような気がする。
ああ、もう終わってしまうんだ。
でも、奇跡が起きるかも?と
思えるのかどうか、今はわからない。
ということで、今のところ、余命宣告はいらない。
と、元気な私であるが、実際にご家族がそんな状況に
いらっしゃる方のことを思うと、心が痛い。
いずれにせよ、命は限りあるもの。
それは間違いないから、今日1日を丁寧に、大切に
生きたいと思う。