自分流瞑想、こころの時間。

静かな朝。コロナで何年もお会いできていないが、メール含め
やりとりが今も続いている、ある方のことをふと、思い出す。

私が会社員であった頃からのおつきあいであるから、30年近く
ご縁をいただいていることになる。
それは、国際マーケティング勉強会での出会いであった。
その方は50代後半に脱サラされ、会社員時代の経験を活かし、
起業された。
そして私の35歳での脱サラ後も、マーケティング方面での仕事への
心配、音楽活動への応援、ときに翻訳などで助けていただいたことも
・・・。
思い起こせば、良き応援団として、ずっとずっと見守っていただいてきた。

今は70代後半。現役を退いても、積極的に社会に関わり 長年培われた
国際的なキャリアを生かし、海外と日本をつなぐ社会活動を続けて
おられる。そして健康的な生活を送っておられ、とてもお元気な様子。

つねに人生に対して、勤勉であり、計画的であり、そして敬虔であり、
信仰がある人の生き方とは、こういうものかと学びをいただいたことも
多かった。

定年後の暮らしについてたずねたときに、毎日、瞑想をされていると
言われたことを思い出した。それが心の健康法であるとも・・・。
瞑想は、自分と向き合う集中の時間。
かのスティーブジョブズも瞑想をしていたそうであるが、
日々課題多き人にこそ、心を静め、無になり、頭を整理する時間は
有意義であろう。

最近、住人が長い旅に出てしまった実家はわが仕事部屋、スタジオとして
使うことも増えてきたが、静かな部屋に、親の写真を置き、じっと静かに
過ごす時間をもつことがある。
本来の瞑想とは違うかもしれないが、私の場合はこんなやり方。
親と対話をする。それは自分との対話の時間でもある。

日々生きている動の時間。そしてそれをみつめ、見直す静の時間。
心身のバランスに、瞑想的な時間は大切だ。

社会で生きていくなかで、気づかないうちに沁みていく内面の垢を洗い流し、
無になる、素になる。
ほんの5分でも、それをすることで、ずいぶんと背負う荷物も軽くなる。

とくに週末。自分流の瞑想時間をほんのちょっと持つのも良いだろう。

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