ハイブリッド時代の戦車?

先日、久しぶりにオードリーヘプバーン若き日の名作
のひとつ「尼僧物語」を観ていたら、ストーリー展開に
つい、くぎ付けとなった。
神に仕えるために修道生活を続けていた模範的な修道女
(オードリー演じるシスタールーク)が、第二次世界大戦
になり、父親が敵国の兵隊に殺されたという情報を得て、
神の名のもとに、敵をも赦すということができない、
との葛藤のもと、修道院を去った・・。というストーリー。
自分のなかで、今の社会情勢が重なった。

戦争になれば、結局は神を信じられない、憎いものは憎い
となるし、どんなにハイブリッド社会だといったところで、
結局は戦車を世界中からかき集める、超アナログな状況を
人は求める。対面での殺戮に向かってしまう・・。
人間は、いったい?
戦車の供与?これでいいのか?

先週岐阜新聞で行ったコンサートで、ウクライナでの
戦争が早く終わるようにと願って弾いたオリジナル曲の
タイトルは、「枯れたひまわり」。
そう、あのウクライナのヘルソンに咲くひまわりは、
枯れさせてはいけない。
でも、戦車の行列は、ひまわりをも潰していき、
再び咲くことができないように、枯れさせてしまうかも
しれない。美しいあのひまわりが死んでしまう・・・。
あのひまわりの下には、先の戦争で亡くなった兵士たち
が眠っているのに・・・。
と、私の中では、さまざまな想像と感情が入り乱れる。


戦車の供与ではなく、もっと違う次元で、コミュニケーション
=対話の力で、なんとかできないのか?
軍事産業が活況を帯びていくこの事態にも大変疑問を感じる。

戦車より、コミュニケーションを。
戦車より、音楽を。

と祈る人も少なくないことを信じ、自分ができることを
しなくては。


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