非日常の存在を求める。

来週から高齢者施設でのコンサートが続く。
打ち合わせに、施設に顔を出す。
「みなさん、ほんとうに楽しみにされていますよ」
と前回の評判も含め、皆さんの期待度を肌に感じる。
「そんな大したことはできませんよ」
「いえいえ、マーサさんが来て、演奏してくださる
ということが、皆さんにとっての非日常なんですよ。
そのこと自体がとても刺激になり、とても大切なこと
なんですよ」
と施設の代表は語ってくれた。
彼と話をするなかで、こんな話題も出た。
子供のころは、何をしても珍しくて感動があって
毎日が長い。
でも年をとってくると、生活が毎日同じことの
くりかえしで何もなく終わってしまう。
日常だけしかないと、何もなくあっという間に終
わってしまう。
そんななかに、非日常の時間があると、人生に潤い
が出てくる。
自分から動き、何か新しいことができなくなる高齢。
意識しなければ、ほんとうに毎日同じことの繰り返しに
なってしまう。
人生の価値を考えたら、少しでも最後の最後まで
何か楽しいことがあれば、幸せだ。

施設で働く皆さんは、利用者にとっては、すでに日常の
存在となっており、たまにきて、何か楽しいことをして
くれる人は、非日常の存在。後者の存在も高齢者に寄り添う
には重要だと言われたら、自分ができることをと思ってしまう。


日々の暮らしは、日常のくりかえしだけではつまらない。
刺激があると、脳の活性化にもなる。

人生、非日常があるから楽しい。
そうか~。責任重大だ。
小さな非日常の存在であり続けることも、これからの
テーマになりそうだ。

人生の価値を高める、ひとときのきっかけのお役に立てたら。
皆さんとって非日常であり、そして私にとっても非日常。
ありがたい人生だと改めて思う。

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