観光よりも、歴史を知り、遺す、守る、受け継ぐが優先

世界遺産というタイトルを求め、世界各国、各地が沸いている。日本にいると、とくに日本がその登録に熱心に思えるが、世界どこでも同じようだ。それを観光・町おこしに活用するということが行政の狙いであるように見えてしまうところもあるが、もちろん注目され、その町に人が集まることは交流人口を増やす意味において、大切かと思う。
その一方、国宝や世界遺産となることにより、観光地化が加速することを懸念する思いが強くある。
先日も、ある研究目的があり、大浦天主堂へ出向いた。何度目かの訪問。残念ながら行く度に期待を裏切られる思いがある。次から次へとどやどや入り込んでくる観光客。カメラ撮影は禁止と書いてあっても意味がわからないので、パシャパシャ撮影している外国人観光客。あげくのはてに、ガイドの音声がずっと繰り返し流れている。静粛とあるのにこんな連続音声のアナウンスが始終しているようでは、観光客だってわいがやになる。こんな教会は世界にもない。静寂を守らないといけない聖なる場所が、観光地になってしまい、祈りとは無縁の空間になってしまっている。信徒発見400年といっているのに、信徒をもっと大切にしたらいいのに。でもその建物を維持保存するために国宝や世界遺産としったタイトルは不可欠だ。お金がかかるのだから、仕方ない。でも・・・という気持ち。
以前より京都のお寺で嫌いなところがいくつかある。拝観料で儲けているという印象が強いところだ。その景観、風景、建築面での素晴らしさはもちろん認めるが、そのココロに疑問符がついてしまう。
とまあ、観光地として名が通ると、団体旅行の餌食になってしまう・・。
ということで、長崎のこれからも憂慮する。軍艦島が産業遺産に登録された。新聞である軍艦島ガイドさんがいいことを言っていた。
「観光ではなく、歴史を知って」ということだ。カメラ撮影も☓ということ。かなり訪問も制限されているとのこと。
真面目に長崎の、日本の歴史を知りたい人だけでいいのだ。
オリンピックもそうであるが、何か憂うものがある。近代オリンピックは純粋なスポーツ競技ではなく、政治と経済との三つ巴。お金ありき、経済効果あってのイベント・・。すべてそのあとのことを考えてしまう。
ちょっと横道にそれたが、世界遺産で大切なことは、歴史を知り、大切に守り、受け継ぐということだ。絶対に派手にしすぎない方がいい。
お祭りじゃない。もちろん守らないとなくなってしまう。先人の偉業をたたえ、感謝して生きていきたい。

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