自然に向き合うおたから時間。

両親の旅立ちに慣れたような、慣れないような・・・。
なんとも言えない感覚で、とにかく前を向いて歩き続けてきたこの1年。
ふるさとへは、頻繁に足を運び、公私ともに時間を費やしている。
都会とはまるで違う、人気のない静かな川沿いの道を歩きながら、電車を
待ちながら、ああ、ふるさとはいいな。と実感するひとときがある。
それは、自然と向き合う時間があるということだ。
たとえば、川面で戯れる水鳥の集団をみつけたり、鷺など大きな
鳥をみつけては、「あ、今日もいるんだ。今日もそこで遊んでいるんだ。
おーい。」と、思わず鳥に聞こえるはずもないのに、声をかけてみる。
すると、木々から、いろんな鳥の鳴き声がこだまする。耳を澄ませると
いろんな声だ。種類が違うと声の高さも、つややかさも全く違い、
興味が湧く。
一方、実家の庭は、枯れ葉が舞い落ちる。つい最近までは、掃いても
掃いても落ちてきて、「もう!」といらだったが、もうその葉っぱも
全部なくなった。
季節は秋から、冬へと移ろった。

と、そんな具合に、歩きながら、空を仰ぎながら、何気なく自然に接して
いる自分に気づく。
そして、遠目には、岐阜城がそびえる金華山ほか、山々も見えて、田んぼも
畑もいっぱいで・・・。

東京暮らしでは目にすることがなかった光景、都会と違う昔と変わらぬ風景。
この豊かさは、他に代えがたい。
自然と向き合うと、心が優しくなる、丸くなる。そんな感じがする。
時間の感じ方が変わるのだろう。
ではあるが、自然と向き合うと、子供のころのことが走馬灯のように
浮かんできて、両親に会いたくなる気持ちが湧いてくるのをおさえるには
もう少し時間がかかりそうだ。

さあ、心豊かに、残り少ない今年を味わうとしよう。

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