あのバタークリスマスケーキ。

子供のころのクリスマスは、ほんとうにハレの気分になる
ことができた。夢のような一大イベントであった。
子ども会では、「クリスマス会」があって、お菓子の詰め合わせや
ときには、おそらく大手パンメーカー製の小さく丸いバタークリームの
ケーキをもらえた。持ち運び用のひもが付いているパッケージで、
るんるん気分で持ち帰ったことを覚えている。

意味もわからないクリスマスソングを歌い、ゲームをしたり・・・。
子ども心に、純粋にうれしい行事はクリスマスだったかもしれない。
但し、親はそういう西洋文化には理解がなく、家ではとくにプレゼントが
なかったが、その分、叔父さんが、ブーツ型のお菓子の詰め合わせを
買ってきてくれたときは、飛び上がるぐらいうれしくて、そのブーツ
に入ったお菓子はずっと食べずに置いて、それでも食べてしまった
あと、このブーツは履けるのか?と試していたような?
それぐらい、サンタさんの存在がとても不思議であり、楽しみだったのだ。
サンタがトナカイがいたのか、いないのか?そんなことよりも、
夢の時間を楽しんでいたような気がする。
日本では、宗教に関係なく、クリスマスイベントが催事としてビジネスと
して年末商戦を飾る不動の存在となった。

今、恒例行事として各店でクリスマスケーキを販売している。
豪華でおしゃれだ。
でも、私にはあのバタークリームの小さな丸いケーキがいい。
まだあのケーキが存在するならば、ぜひとも購入したい。
と、クリスマスの賑わいを感じながら、素朴にうれしかった
昔の楽しみを懐かしく思い出す。

なんでも、これから!というものの方がうれしいのかもしれない。
普及しすぎると、どうも感動が薄らぐ。

昔の感動を、忘れずに。
あのバタークリームのケーキを切ったときの感動を。
豪華でなくていい、ハレなる時間がうれしいのだ。

ハレの日を求める気持ちは、今も昔も変わらない。
でも、昔の感動を思い出すと、大切なことも一緒に浮かび上がる。
小さなことに感動できる心。大切にしたい。

華やかよりも、素朴に。
そんな風にこの年末を過ごしたい。

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