老々介護が原因の痛ましい事件、事故・・・。
その報道に接するたびに、心が痛む。
老々でなくても、
両親の最期は、まさに真剣勝負で緊張の毎日であった。
「おまえに、わしがどんだけ痛いかわからんやろ。
もう殺してくれ~」
と、そんな言葉も生存確認の決まり文句のような朝も
多かった。
そんな言葉は母の訴えであったし、一生懸命生きている
証しであった。
こんな激しい暴言のあと、力抜けて
「昌子さんと喧嘩せなあかんで、長生きせなあかんな。」
と言ったこの言葉が、母から私への遺言となった。
もし、この生活があと10年も続いていたら、私も70歳前になり
体力気力もどうなっていただろう。
まさに、老々介護になる・・・。
おかげさまでというと罰当たりかもしれないが、
そこまでいかないうちに、旅立ってしまった。
でも、何十年も介護をしなければならないとしたら、
介護者である家族の負担は計り知れない。
仕事も好きなこともできない。どこにも行けない。
経済面の不安も絶えない。
介護は本当に大変な人生の仕事だ。
他人事ではない、老々介護。
人生を「ありがとう」と笑顔で終えたいが、
そのためには、まずは今できることをやり、
人に迷惑をかけない生き方をしっかり準備しておくこと。
生きることは、本当に難しい。
このたびの悲しい事件のこと、他人事とせず、
どうしたらこういうことがなくなるのか、
をしっかり考えなければ。
加害者、被害者で人生が終わらないように。
「ごめんね」ではなく、
「ありがとう」で終えたい。
老々の時代に。
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