久しぶりに新潟駅に降り立った。
20年前に通い始めた頃から比べ、随分と駅も変わった。
新潟駅は大規模工事の真っ最中で、馴染みの土産物店や飲食店も閉店。
ああ、これから新潟も変わっていくのだと、寂しいような頼もしいような・・。
そんな気持ちで駅ビルを歩いていたら、懐かしい駅弁売り場だけは残っていた。
あ、懐かしい。思わず立ち寄り、弁当の什器を覗き込む。
あ、みつけた。あったあった。
抱きしめたい駅弁。そんなフレーズはないかもしれないが、私が日本で一番好きな駅弁は
このゆきだるま弁当だ。雪国新潟らしいお弁当で、容器は貯金箱にもなる。
そう、通い始めたころは、これが珍しくてよく買ったものだ。
本当に微笑ましいお弁当。「がんばってね。」「お疲れさん」と語りかけてくれているような気持ちになる。お弁当の中身もやさしい内容で、本当においしい。
思わず、10年ぶりぐらいに買ってみた。
車内で食べずに、持ち帰り、開封してずっと眺めていたら、
新潟での思い出が走馬灯のように浮かんだ。あの駅弁売り場で出会った人、
そこから仕事につながった出会い・・・。いろんな人にお世話になったなあ。
駅弁は、私にとって30代・40代の思い出のアイテムのひとつ。
台湾の仕事、新潟の仕事・・・。いろんなドラマがあった。
あまたある駅弁。
そのなかの代表格が、思い出いっぱいのゆきだるま弁当だ。
企業にも人格があるというように、食べ物にも人格がある。
パッケージや器、盛り付けなどの見せ方で、いのちが吹き込まれる、
そんな感じがする。
ゆきだるま弁当。雪国のみなさんのやさしさが、じんと伝わってきた。
ありがとう、にいがた。
厳しい雪国くらしが、こんな風にしてあたたかいものになる。
食べ物にも人格がある。
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