最初と最後はわからないけれど。

毎日、一生懸命生きている。
明日という不確実な存在に向かって、
生きている。
気が付けば、また新たな朝を迎え、今日は明日になる。
この繰り返しを幾日も幾日も続け、
半世紀以上、生きてきてしまっている。

人生ってなんなんだろう?

最近、お世話になった方のお別れがあった。
親の旅立ちからちょうど1年。
その当時は、まさに当事者であったため、
そのときに封印していた感情が、
今回、一気に沸きあがり、涙があふれた。

最後のお別れ。
親族の皆さんや親しくされてきた人が、
花をたむけながら、名前を読んだり、感謝の言葉を
言ったり・・・。

本人には聞こえないし、見えない。
それが、死なのか。と思った。

人は生まれるときも、亡くなるときも意識がない。
最近読んだとある本にそう書いてあり、納得した。

確かに、
自分で自分のはじまりと、終わりを実感することは
ない・・のだ。改めて考えると不思議なものだ。

最初と最後は意識なし。
でも、
今はまだ意識がある。生きている証拠だ。
私が私でなくなる日。
そのことを、私は実感できない不思議。

という理解しがたい現実がいつか来ることを
畏れず、
意識がある、私が私である今日という日を
存分に生きたい。

悩み苦しむことがあっても、
時とともに、それも変化していき
いつか歓びや、いい思い出になることもある。
人生は、やっぱり、
ミルフィーユのようにさまざまな経験や思いを
重ねていくのみ。

最後、誰が自分のことを思い出してくれるだろう?
それもわからないけれど、
みんな、同じこと。
精いっぱい生きていれば、その背中を誰か見ているはず。

自分が自分でいわれる幸せに感謝し、
終わりの日まで、元気に走り続けよう。




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