子供の頃から とてもかわいがっていただいたおじさん。
89歳の誕生日を前に、人生の幕が下りた。
何年もずっと来て下さった地元でのコンサートへも、
この春以降、来場が難しくなった。
最後に来てくれた岐阜新聞での演奏のときは、
会場の皆さんの介助のおかげで、入退出。
そして、やっと車に乗せてもらうことができた。
「まあ、生きとるだけやわ。」
自分で動くことが難しくなったおじさんは、笑いながらそう言った。
その言葉が、今何度も蘇る。
それまでは、耳が悪くても、それでもずっと来てくださった、
ただ、ただ見守ってくださった方。
聞こえへんのに、何が面白いのかなと、いつも思いながら
ピアノを弾きながら、叔父さんに向かって
一生懸命、視線を投げかけていた。
そんな聴こえない人生を10年以上過ごされていたが、
いつも笑っておられたのも、印象的であった。
苦を苦と思われない強さ、しなやかさが好きだった。
食欲旺盛な元気な働き者のおじさん・・・。
「わしはな、学校いっとらんけど・・・」
時々そんなことを言われ、でも、生涯の働き者であった。
出世とか、名誉とか関係なくかかわる人へ優しさを
黙って投げかける、そんな人であった。
この夏以降、食欲が落ちて、寝たきりになり、
それでも何か栄養を・・・と思い、なんどか
レトルトのスープを差し入れていた。
美味しい!と、飲んでくれていたので、
先週も送ったばかりであった。
義理のおじさんなので、
血はつながっていないのに、
心がつながっている感じ。
幼い私を「まー」と呼んでかわいがってくれた。
地元で生まれ、育ち、働き・・・。
地味な、地道な人生を歩んだおじさん。
本当に純粋な、ある意味、世渡りは下手だったかも
しれないおじさん。
そんなところがとても好きで、
子供がおられないこともあり、
良くしていただいた。
人が毎日生まれ、亡くなっていく。
名もなき人がほとんどだ。
でも、ひとりひとりの人生は
それぞれの家族や身近な人にとって
本当にかけがえのない、
大切な存在だ。
「生きてるだけで、もうけもん。
何もできなくてもいいよ」
と、優しい奥さんに見守られて・・・。
「かわいい顔してたよ」
と、そんな訃報に接し、
なんともいえない気持ち。
自宅で、静かに一生を終えられたのは
幸せだったろうと思う。
いのち、尊し。
愛されて、見守られて逝ける
人生は、幸せ。
心で演奏を聴いてくれていたおじさんに、
心から感謝と祈りを捧げたい。