岐阜といえば、長良川の鵜飼い。
金華山の頂上にある岐阜城を仰ぎながらの
長良川はとても美しいが、夜の鵜飼いの風景も、
ふるさとでもっとも自慢したいスポットのひとつ。
鵜飼いの船に漁火が灯り、ひとつふたつみっつ・・・そしてむっつ。
船があつまり、漁火も並ぶ。これが「総がらみ」と呼ばれる鵜飼のクライマックス。
水面に映る灯りたちが、とても美しく、幽玄である。
そして、たちまち、火は消えて、観客の拍手も暗闇にとける・・。
と、まあ、そんな鵜飼い。
5月から10月まで毎年開催。
訪れる観光客たちを、じんわりともてなす岐阜の風物詩。
そして、昨日10月15日が最終日。
去年から、父の命日の翌日という新たな「記念日」にもなった。
父が倒れた3年前。倒れる直前の夜に、
この鵜飼をたまたま長良橋の上から見ていた。
おもしろうて、やがてかなしき鵜飼いかな・・。
は、ほんとうにそうだな・・・。
と思っていたら、そのあと父が倒れ、そのままフェイドアウトするように
一生を終えた。
松尾芭蕉が、鵜飼いを人生にたとえたのが、
よく理解できるようになった・・・。
鵜飼い最終日の前日に旅立った父。
これも意味があったのだろう。
今となっては、私にとっては、この鵜飼いじまいは、父と母への送り火だ。
最終日である昨日は、天気もよく、船で楽しむ観光客以外に、川辺や長良橋にも
多くの人々が集まり、最終日を見守った。
長良橋に多くの三脚が立ち並んでいた。一年にこんな多くのカメラが集まることは
ないだろう。
花火もきれいに打ち上げられ、観客の歓声と拍手が
夜空に舞った。
昨日は、空から、母と一緒に漁火を見ていただろうか。
山上の灯りは岐阜城。信長もこの鵜飼で多くの客人をもてなした。
もてなし、そして送る・・・。
おもしろうて、やがて かなしき うかいかな。
おもしろうて、やがて 涙 あふれてる・・・。(自作の「やがて・・・」より抜粋)