久しぶりに、哲学系の書籍で、翻訳ものを入手した。
たまたま 売り場でその本が目立っており、タイトルと
表紙の色が自分を誘惑した。
なんだか、面白そうと思い、でも最後まで読めるかなと
何度か店頭で眺めた上で、帰ってから、よし挑戦するぞ!
とネットから注文。
哲学書は心に、時間にゆとりがないと、読めない。
さて、今日こそは、と本を広げる午後の時間。
本を開きページを最初からめくると、翻訳にあたってのまえがき・・
という まえがきのまえがき・・のような書き出しがあり、
そこから躓いた。なんだか面倒くさそうだな~。
知らない名前、修飾語が多すぎて、すんなりと頭に入ってこない。
いったりきたり、そして「ん?」と思って戻る。睡魔も襲ってくる。
読書では、文字が言葉となって、すいすい頭に入ってくる場合と、
何度もうろうろしてしまう場合がある。
今回は、後者か?悔しい。最後までなんとか読み通したいのに。
気合いで文章を追いかけるが、なぜか頭に入りにくい。
専門用語が多すぎるのか、訳文の個性によるものが、いやいや
こちらの理解力が乏しいのだろう・・。
諦めて、しっかり読もうとするのではなく、まずは流し読みを
しようと思った。
目で追いかけているうちに、気になる言葉が入ってくるのではないかと。
そして、最後までいく。
残念ではあるが、理解ができていないままだ。共感できるフレーズが
探せない。
悔しい。
でも、焦らず、一度本を閉じて、しばらく他のことに頭を切り替える。
しばらくしてから、もう一度その本を開く。
最初を読む。あ。少しは覚えている。
ということは、頭に入ったかな?
ということで、難書は焦らず、何度も何度も開きながら
ゆっくり読み進めることに。
この読書が楽しいかどうかは別であるが、
抽象的な表現や、自己満足的な描写も少なからずなので
一言でも、二言でも役立つ言葉に出会えれば良い。ぐらいの
気持ちで向かい合いことにする。
学生時代に向き合った哲学書も、本当にそんな本が多かった。
難しいことを、やさしく書いてほしいのだけれど。
哲学者には、サービス精神とか、顧客志向という発想は
ないのだろう。
すべては自分を疑うところから始めるぐらいだから・・。
などいろいろあるが、
たまには、難書も悪くない。
本を通じて、普段考えないことを考えてみる、
新しい発想に巡り合う、心の旅時間をもつことが何より大切だ。
難書との向き合い方。
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