10年先を見る生き方。

おかげさまで、年上、年下・・。いろんな年代の知人、友人が周りにいて
くれる。このことは、私にとって大変ありがたい。いろんな私を知っていて
くれる人があちらこちらにいてくださることで、救われることがある。
国籍、職業、性別、地域・・・とにかくさまざまな人が、いろんな人生を
それぞれ生きている。その人生にふれると、自分の存在が小さくなる。
そして、肩の力も抜ける。
近視眼的にならないため、いろんな属性の方たちとふれあうことは、いくつ
になっても大切だ。
自分を特別視しないためにも、自分中心の発想にならないためにも、
いろんな方の生き様にふれることは必要だ。

この1年は、年賀状もお休みであったこともあり、またこの数年、拠点を
移したこともあり、東京時代に接点をもっていた方たちとの交流が少し薄く
なっている。
とくに10歳以上、ひとまわり以上離れている方とのことは、いろんな意味で
お元気かな?と心配になる。
そこで、気になった人、ふと思い出す人には、昔の年賀状などをたどりながら
連絡をとってみる。
つきあいが途絶えると、何かあったときも連絡が来ないため、久しぶりの連絡は
勇気が要る。

二名の先輩に連絡をしてみた。
ふたりとも、おそらく70代に突入されている。
ひとりはセミナーで出会った方、もうひとりはデザイン関係の社長。
いずれも働く女性としての大先輩。
おふたりともお元気であった。
変わらぬ声、変わらぬ文章。
お互い、久しぶりではあったが、声や文章の再会をとても喜んでくださって、
ご無沙汰の距離は一気に縮まった。
年を重ね、昔とは違う仕事の仕方、あるいはその後の暮らし。
10年以上合わないうちに、いろいろ変化はあるけれど、
みなさん、健康的にしなやかに生きておられることがとてもうれしかった。
と、同時に
自分の10年後を想像する。
今の延長でいたい自分。
さて、どんな風に変化していくだろう。
流されず、ブレず、いい感じでいきたいな。
先の自分を想像するためにも、先輩の背中はとてもありがたい。
諸先輩のいろんな人生を見せていただきながら、
自分の先をイメージする。そして1日1日を重ねる。
未来はイメージでしかない。でも、イメージが現実になる。
ステキな現実になるために、先を見る習慣を。

今日も確実にその10年後に向かっている。この自覚をもって
進みたい。

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