実家のリビング兼応接合間には、
2021年のカレンダーがふたつ、まだ掲示してある。
1つは3月のまま、もうひとつは10月のまま・・・。
これを見ると、1年前のこのときは・・・といつも思い出す。
と同時に、ここで時が止まったような気持ちになる。
カレンダーを、新しくせず当時のままにしているのは、
私だけではないようで、
他の方もそうされていることを最近知った。
親が生きていたときのカレンダーをそのままにしておく。
時が止まったカレンダー。
おそらく、これからも、このカレンダーはずっとこのままに
しておくだろう。
思えば、この1年。
自分のなかには、ふたつの時計が存在していたように思う。
ひとつは、毎日毎時毎秒、時が進む、生きている時計。
おかげさまで、今日も10月3日という新たな日付を、
進み始めている。
一方、もうひとつは、昨年で動かなくなった止まった時計。
悲しいかな、その時計はどうにもこうにも、動かないし
進んでくれない。
でも、何かをすれば思い出し、どこかにいけば思い出し、
誰かと会話をすれば思い出し、そのときがまた蘇る。
時計は進まないけれども、生きた時計のなかで、
思い出すことで、違う面を発見したり、新たな感謝が
湧いてきたり‥ということはある。
だから、なるべく、いろんな人に会い、いろんな場所を
巡りながら、たくさん思い出すように・・気が付けば
そんな風にしてきた1年。
大切な人をなくすことで、2つの時計をもつ。
誰もが通る道。
悲しみは消えないけれど、心の中で一緒に生きることは
できそうだ。