「待っとってね!」

幼き頃から、ずっとお世話になってきたおじさん。
2.3年前までは、普通に生活をされ、元気いっぱい。
仕事もずっと続けておられた。
ごはんもいっぱい召し上がり、ああ、この人は100歳まで
生きるのでは?と思うほどに、お元気であった。
とにかく地道に、コツコツと生きる。
純粋なおじさん、大好きな人だ。
ただ、この20年ほど、耳が不自由になってしまった。
それでも、何度も私のコンサートにきてくれた。
聴こえないのに、楽しいのかな?と思っていたが、
普通に過ごしておられた。そして笑顔で帰っていく姿が
印象的だった。
「まー、またな。」
「まー」、いつも私をそう呼んでいたおじさん。
何かが聞こえていたのだろうか。見守る世界で?
でも、ありがたい、大切な応援団だ。
50年前に亡くなった妻は私のおばさん(前妻)。
もしかしたら、その面影をコンサートのとき、感じていたのかも
しれない・・・。

そのおじさんが、高齢で寝たきりになったため、
コンサートに来れなくなった。
ちょっと心配になり、お見舞いに伺う。
食欲が落ちているようで、かなり細くなっていた。
でも、顔を出すと、にこにこ笑って、とても喜んでくれた。
聴こえないので筆談で話をする。
ずっと付き添っている奥様(後妻)が、
「こんな風になってしまったので、コンサート行けずに
ごめんね。残念やわ」
「来月で89歳。来年は90歳やわ。それまでがんばってもらわないと。
お父さんががんばっているので、私も頑張るわ」
と言われた。
そうか・・・。老々介護とはこういうことだ・・。
とにかく、会いに行ったら、おじさんの目がきらきら輝いた。
久しぶりにおじさんの笑顔を見た日だった・・と、あとで届いたおばさんからの
お礼ハガキに書いてあった。
行くだけでも価値があったのかな。

そんなことを考えていたら、
長年お世話になっている95歳の方から電話が入る。
母の親友であり、私の高校の大先輩にあたる。
「あんたー、もう足が動けんで、昔みたいにいろいろ行けんわ。
昔は本当にどこでも行ったのになあ。
岐阜新聞のコンサートも行けへんわ。ごめんねえ。」
どうやら、ちょっと転んで骨折されてから思うように動けなくなり
最近はデイサービスにも通いはじめられたようだ。
「今、近所のデイサービスいっとるよ。今度さあ、そこにきて。
あんたの歌、もう一回聴きたいわ。20人ぐらいのところやけど」
とリクエストが入る。
「わかったわかった。行くね。
 必ずやるので、待っててね。元気に待っててね」

と、声をかける。電話口でおばあさんは、喜んでいる。
まだまだお元気だ。

と、こんな風に、とくにふるさとでのコンサートの常連
さんたちは高齢化により、動けなくなりつつある。
行きたい所へ自由に
出かけていけるというのは、元気な証拠、若い証拠。
何よりの贅沢なのかもしれない。

こんな現象、現状を前に、今、自分ができることを考え始めている。
待っている人に会いに行く。
待ってくれている人のために・・・。

これから、自分ができること。
私が動ける間にできること、それは、今しないといけない。
急げ!

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