思い出更新の地。

母が亡くなった当日、病院から連絡が入った3~4時間ほど前に行った
カフェ。
そこはコロナ禍にオープンしたホテルの1階にある店で、ずっと気になりながら
やっとその日初めて入店。
入院中の母、入所中の父のことでなかなかゆっくりする時間もとれなかったが
しばし疲れをとるために、ちょっと小休止したくなったのだ。
ま、今日はいいかな。
そこに入って、美味しくコーヒーとケーキをいただいた。
ああ、久しぶりに気分転換、少しゆっくりできた~。

と思って帰宅し機嫌よく夕食の準備をしていたところ、
病院から母が危篤の連絡が入り・・・駆けつけたが
間に合わず、旅立ってしまった・・・。

あれから、1年と約半年。
その後、あの店にはなかなか勇気がなくて、前を通ることも、
中に入ることもできなかった。
母の最期の日を思い出すから、
母がハーハー苦しがっているのに、私は呑気にコーヒーを飲んでいたから・・
などなど、とにかくそこに行くとあの日のことを思い出しそうで、ずっと避けていた。

しかし、今回、近くに出かけたついでに、その店を思い出し、
もういいかな。今日は寄ってみようかな。
と、思った。
ちょっと勇気が要ったけれど、今日は久しぶりに行こうと思ったのだ。

店内は平日の午後で、とても静かで、ひとりコーヒーとスィーツをオーダー。
さっき近所のYAMAHAで購入したばかりの楽譜を眺めながら、去年の3月26日のことを
ずっと思い出していた。
ちょっと心が痛んだが、それでも美味しいコーヒーをいただきながら、
あれから一年半の時間をゆっくりたどりながら
ああ、あのときは二人とも生きていたのに・・・。でも、まあ、仕方ない。

名古屋にまつわる幼少の頃の自分と親とのさまざまな思い出が次々湧いてくる。
よく、毎日岐阜と名古屋を送り迎えしてくれたな~。裕福な家庭でもなかったのに、
よくあんなにレッスンに通わせてくれたな~。
そう、名古屋のこのあたりに来ると、幼い日の私に期待を寄せ、
とにかくがんばっていた両親のことが蘇る。
二人にとって、私の音楽は、生きがいだった。

と、気が付けば、このカフェは、
自分にとって両親との思い出の更新地になっていた。
しばらく忘れていた細かな場面や言葉、表情なども、思い出すのだ。

そうか、思い出に浸りたくなったら、ここに寄ればいい。

実は、私にはそういった場所がいくつかある。京都、東京それぞれに・・・。

大切な人のことを思い出し、懐かしみ、いとおしむ場所。
時間を経て、その人との思い出を更新しに行く。

思い出はなくならない。浸りたい場所があることは幸せ。

写真は1年半前にいただいたスィーツ。
何とも言えない記念日ケーキになってしまったけれど・・・。


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