匿名はラジオ番組まで・・がちょうどいい。

匿名といえば、昔ラジオ番組でよく使われていた手法である。不特定多数のメディアに出るときに、本名では都合が悪い、恥ずかしい、それだと話せないということで、ハガキでも、生出演でも「匿名」という名乗り方があった。
最近は「匿名」が許される場面が多くなっている。とくにネット社会では、SNS然り、ショッピングの場面でも名前を明かさずに、見えない何者かに成りすましてやりとりをする場面が多く、これはこれで慣れてしまえば良いのかもしれないが、私にはどうも気持ちが悪い「出方」なのである。実は、気になる商品がありネットオークションというサイトを見て、どんなものかしらと、そこに一歩頭を突っ込みかけた。だが、匿名の売り手と買い手のやりとりの世界・・・これがなんとも不思議というか、自分には理解できず、気持ち悪くなって途中でやめた。まだフリーマーケットの方がいい。売っている人の顔が見える。ネットでショッピングをする場合でも、ちゃんとした店舗であっても、顔が見えない不安感があるのに、ましてや匿名という不思議な売り手からの商品の提供とは、最後の最後まで心配が付きまとう商法ではないか・・。いやはや、こんな世界もあるのだと今さらながらに、匿名社会の心地悪さを再認識した。
ラジオ番組で恥ずかしい気持ちを抱きながら、匿名で・・・と出ているうちがかわいい。そんな時代が懐かしい。(今も自分のラジオ番組ではその名残がある)ネット社会での匿名性の無責任さ、人を人と思わない軽さ、気軽であり手軽であり、誰でも買ったり、売ったりできるのは一見良いけれど、何か目に見えない怖さが根底にあるような・・・。私にはこの世界は不向きである。顔が見えるのが私にとっての「売り場」、「お店」である。改めてそのように定義しようと思った。

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