悲しみの日に学ぶ。

イギリスだけでなく、世界がエリザベス女王の死を悼み、
そして今、悲しみのなかにいる。
ともに女王に感謝し、哀悼の意を込め、祈りを捧げている。
祈りのかたちも、場所も、それぞれであろうが、悲しみの気持ちというものがこんなに
広がるものだろうか。と、喪服に身を包んだBBCのキャスターのニュースを見てから1日、
ずっとそんなことを考えていた。

その存在に感謝し、死を悼む。哀しみにくれる。
これは、誰からも強要、強制されてもできないことで、
自然と湧き上がってくるものだ。
涙は自然と湧いてくるものだ。

直接会ったことがない人々にとっても、その喪失が悲しいと思えるという
その存在感と影響力は凄いと思う。
それだけ、生前、善行につとめ、人々に尊敬される生き方をされてきた
ということだろう。

「私たちが生まれたときから、すでに女王でした。」

と、あるイギリス国民がインタビューに答えていた。
きっと、母親のような存在なのだろう。

そう、母親が亡くなることは、この上なく悲しく、そして寂しい。

亡くなったときに、自然にみんなの気持ちが集まってきて、あたたかい感謝の心で
送ることができることが自然であり、それが一番の幸せだ。

「死」というのは、その人の一生を締めくくりだ。
自然の総意で、拍手と祈りで送ることができることが一番。
自然に純粋に、気持ちが沸きあがる、
そんな人生、そんな人物でなければ、そうなることは難しいだろう。

カタチではなく、気持ちから。
気持ちの方が大切だ。

心こそが、人を動かす。
心だけが、人を動かす。

そんな人生の在り方を学ぶ、悲しみの日。
エリザベス女王は、これからも世界中の人に愛され続けるだろう。

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