月に何度か、必ず立ち寄ることにしている店がある。
地元のお米屋さん。
小学校時代の同級生が家族で経営している、半世紀以上つづく
地元では皆さんにとってなじみのお店。
そこの女将さんは、母の親友であった。
本当によくしていただいた。
子供の頃から、「おばちゃん、おばちゃん」
と、親しんでいた。町でも有名な働き者のおばちゃんだ。
そのおかみさんと親の関係。
両親が元気なころは、年末の餅つき等を手伝いにいったり、
休日には一緒にドライブや旅行に出かけたり、
日帰り温泉や外食を愉しんだり、
ときにはお互いの家の台所で、一緒に食事をとったり、
と本当に家族のように
大の仲良しであった。
母が亡くなったあとも、女将さんは気にかけていただき、
父の施設にも顔を出していただき、食事をとらなくなったときも
ジュースを差し入れてくださったり、父が亡くなる直前にも、
家族のように、お見舞いに来てくださった。
それだけ深く、濃くつきあっていただいたいた分、
両親亡きあとは、おばちゃんもお寂しくされていると思い、
また自分も母親に会いに行くかのように、お店を訪ねたり、
お宅に寄ったりしながら、声をかけ、なんやかんやと
差し入れや花を届けてきたこの一年半。
「おばちゃん、お元気ですか?まさこです~」
と電話をかけ、お変わりないか尋ねる。
「話せる友達がいなくなって、寂しいね。
行くところもなくなってねえ。
年を取るというのは、なかなか生きづらいね」
「おばちゃん、今度、一緒に○○へ行きましょうか。
たまには、久しぶりにお店でご飯食べるのもいいしね。」
立場も年代も興味関心も全く違うので、親たちの代わりには
なれないけれど、少しでも、親が仲良くしていただいた分
関わりを持ち続けたいと思ってしまう。
そう、
このおばちゃんには、母の分まで元気に長生き
していただきたいのだ。
時間の経過とともに、寂しさから新たな人間関係が生まれる。
母という存在を通じて、あの人に、この人にと、お世話になった
方への感謝のツアーをし始めている。
母にしてあげたかったことを、その代わりに・・という気持ちなの
かもしれない・・・。
代役にはなりきれないけれど、母との思い出が消えないためにも、
そんなプチコミュニケ―ションを大切にしていきたいとも
思っている。
このおばちゃんは、隔月実施している岐阜新聞のコンサートに
両親亡きあとも、欠かさず、仲間とともにおいでいただいている。
本当に、母の代わりに・・・ありがたい。
米屋の女将さん。母が大切にしていた人だから、
これからも できる限り、
関係を大切に、おつきあいしていければ・・と思う。
今だからこそ思うことを、無理なく実行していこう。
代役コミュニケーション。
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