「すべての人が輝く」社会がいい。

今や、世界では同性結婚もあれば、白人が黒人として生きるなど・・・性も人種も越えて、その人自身が、自分らしく生きるという傾向があるようで、これはある意味、人類史上のさまざまな人の種別、縛りから個を解放しようとする、伝統的社会へのアンチテーゼであり、また自由化への流れである。いろんな見解があるようだが、その人自身が自分らしく生きるということは一番いいことではないかと思う。
一方、ここのところ、日本では、「すべての女性が輝く社会」を目指すらしいが、はっきりいって、その括り方に違和感も感じ、なぜ女性だけなの?なぜ?男性は?なんでリケジョ?なの?などなど個人的には疑問符が飛び交う。そういう縦割りではなく、表面的でなく、一見いいこと言ってそうな偽善のフレーズではなく・・・と思ってしまうのは私だけだろうか?
私は長年男性社会の中でもまれてきたせいか、その社会で輝きたくても輝けない男性たちもいっぱい見てきたし、与えられた環境の中で、家族のため、会社のためにご奉公してきた男性たちを見てきているので、おじさんを応援しなくちゃ!といつも思ってきた。
そう、今日の日本の社会をいい意味で作ってきたのは男性たちのご苦労あってであり、内助の功として支えてきた女性の苦労。支え合いの形が変わってきたのは、よくわかるし、変わることもいいが、いつの時代もオトコもオンナも大切なのだ。
だから、女性にフォーカスするのではなく、オトコもオンナも子供もおじいさんもおばあさんも・・・みんな にこにこ平和に暮らせる世の中になるにはどうすればよいか?と目指せばいいのでは。と今も思っている。
女性を!と言えば言うほど、差別しているよね。と素直に思ってしまう、私はひねくれているかもしれないが。

世の中にはいろんなマイノリティがいる。でもメジャーという括りも分解すればみな、マイノリティ。結局は「個」が生きているのだ。
点数稼ぎ的な、表層的なことではなく、個々がどうしたらもっとイキイキ生きることができるのかを突き詰めていかねばならない。
それにしても、世の中のめまぐるしい変化のなかで、自分のアイデンティティを見つめ続け、自分らしさを失わない生き方を希求することはなかなかパワーが要るものだ。

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