今日も明日も「どっち行く?」

東京はどの町も、駅も常に変化があるため、いつもと同じ道でも
何かしら、発見がある。
京都では、普段行かない道、あまり人が歩かない静かな路地などを行くと、
まだまだ知らない京都に出会える。

自分が棲んでいる町も、ふるさとも・・東京や京都ほど、選択肢は
少ないけれど、いつも歩き始めるとき、交差点に出たとき、ビルの前に
きた時、「どっちいく?」とその都度、道を選んで、なるべくいつも
違うところを歩くことにする。川のほとりを歩く時も、往復で両岸を
歩くようにする。
気が付けば、いつも違う道を歩きたがる傾向があるようだ。
ひなたか、ひかげか。咲いている花は、いつもみかける猫は、鳥は・・・。
少しでも変化をみつけたいからだ。
ちょっとした工夫で、歩くのも楽しくなる。

名鉄岐阜駅のビルの入り口で立ち止まった。まっすぐ入れば、
母と待ち合わせした店や、一緒にランチを食べた店の前を通ることになる。
そういえば、両親がいなくなってから、そこを通ったことはなかった。
「どっち行く?」よし、今日はまっすぐ行ってみよう。と思った。
なぜか、ちょっと勇気がいった。
そして、その店が近づいたら、急に元気だったころのことを思い出し
たまらない気持ちになり、少し手前で曲がった。
道によっては、思い出が濃厚すぎて、もう少し時間が必要ということもある。

と、長く生きていくと、そんな思い出の道も、いろいろあるけれど、
「どっちへ行こうか?」「どの道、行こうか?」と毎日、そんな風に
きょろきょろしながら動いている。
そうしながら、意外といろんなものを見ながら、考えながら
心豊かに過ごせている。
そして周囲の変化と、自分の変化を見比べている。

人生はこんな風に、毎日「どっちいく?」とつねに自分に問いかけながら
進んでいるのだと思う。
自分の意志で進むのが良い。
自分で選んだ道を進む続けることで、自分らしい人生になる。
仕事でもそう。相手との対話でも、おつきあいでも。
「どっち行く?」
選択しつづけ、進む。そしてまた・・・。
それが、毎日の積み重ねである。

さあ、今日は「どっち行く?」

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