帰るお盆と・・・。

お盆になると、ほおずきを見かけることが多くなる。
私も、今年は大きいのを買って、お墓に飾った。
ぐっと臨場感が増す、雰囲気たっぷりのお供え花。
お墓にも、お寺にも、仏壇にも・・・。
とくに、あのあざやかなオレンジは、暑さのなかでも、
元気が湧いてくる、まさにビタミンカラー。

そして、
この写真は、ほおずきの皮をむいたもの。
使ったあとのほおずきの活用法のひとつらしい。
レースのような皮の中にプチトマトのような
ほおずきの実が見える。
最近では、これをつかったリースなどもあるようだ。

お寺でいただき、早速、両親の写真の前に飾ってみた。
ご年配の方には、ほおずきは、懐かしい夏の風物詩だそうだ。
中の実を食べて、音を鳴らしたもんだと・・そんな話を聞き、
ほおずきが長らく、生活に浸透していることも知る。

さて、そのお盆。
今や夏休みのイメージが先行しているが、もともとは
みんなで、先祖にお参りするというならわしから。
それも江戸時代から・・・ということで、もっと早い段階では
仏教行事として、1000年以上継承されているようだ。

さて、そんななじみ深い、お盆・・・。
お盆に先祖さんが帰ってくる。というけれど、
ご先祖は、お盆しか帰ってこないのか?かえってきちゃいけないのか?
と、最近お会いしたお寺の住職さんとそんな話になった。

いろんな考え方があるけれど、私にとっては正直あまりお盆も
お彼岸も関係なく、
親はずっと心のなかにいる存在。いつでもいる。
帰ってくるのではなく、すでに、ここにいるけど?
という感じ。

こちらが意識している限り、相手は生きていると
信じているせいかもしれないが。

だから、今年のお盆も帰ってきたという感じはなかったし
初盆である父に対しても、久しぶり~と言う感覚は
まったくなかった。

暑い中 お墓に行き、花を取り替える。
「今日も、まじあっついね。」などと、両親に話しかける。
普段通りである。
なんだか、にこにこしているような気がする。

ふたりは、いずれ同じ土になる。

そんな二人は、やはり幸せ。

今年のお盆は、そんなことを思った。

帰ってくるのではなく、すでにここにいる。
ふたりでいる。よかったね。という感覚だ。

盆が過ぎても、変わらず。
お墓に行けるときも、いけないときも、
毎日思い、話しかけている。
それでいい。

毎日がお盆というわけにはいかないが、
とにかく
忘れないでいたら、その人はいる。
そこが大切だ。
と思っている。

お盆は、生きている人が寂しく思わないための
そう思わず、元気に生きていけるための
きっかけのひとつなのかもしれない・・。

ふと、そんな風にも思えたり・・・。

それだけ、大切な人の存在は見えても、隠れても
大きいのだ。



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