応援したい人、応援される人。

自分が応援したいと思う人は、いるだろうか?
この問いに対し、いる!、といろんな方の顔が浮かぶ。
会社の社長さんであったり、そこでがんばる社員さんであったり、
病気から快復、リハビリに専念するおばあさんであったり、
ご家族を最近亡くされて、悲しみを乗り越えようとされている人
であったり、障がい者との社会共生のために新しい知恵を絞り
行動している人であったり、介護を頑張っている人であったり、
若手のアーチストであったり、コロナに負けず公演を決行しようと
腹を決めて準備にとりかかる人であったり・・・。。
よく考えたら、数えきれないほどに、多くの人のことが浮かび、
それぞれと関わり合いながら、日々を生きている。
純粋に頑張る人、前向きに生きていこうとする人を
応援したい!自分だけ良くなろうとしている人のことは、そういう
気持ちにならない。
最近も、毎日のように新たな出会いをいただいているが、
自分にはない発想や行動力で、挑戦を続けている人たち。
社会を善に導こうと奮闘する人のことは、自然と応援したくなる。

そして、自分はどれだけの方に応援していただいているだろうか。
この問いに対しても、いろんな顔が浮かんでくる。
いつも寄り添って応援してくれる人、遠くにいるけれども、
ずっと気にかけてくれる人。
その人が声をかけてくれるだけで、勇気百倍湧いてくる。

応援というのは、一方的でなく双方向であれば、尚いい。
応援し、応援される。
お互いを認め、敬意を、そして友情を、信頼をもって
お互いをじっと見守る。
そして、応援というのは行動を起こすことも大切だ。
見ているだけでなく、ときには目に見えるサポートをすること。

あの人が見ていてくれる。この安心感は毎日世間の荒波をわたっていく上で、
とても重要だ。

今、改めて自分の周りにいてくださるひとり一人の顔をしっかり
思い浮かべ、ありがたいと思う。
もちろん、その応援者の中には、両親も含まれている。

がんばれ~!暑さに負けるな~!
そんな声が聞こえてくる。

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