最近見た何かの記事で、「寄り添い」という言葉が嫌いだという
どなたかの発言を読み、ああ、そうなんだと思った。
好きとか嫌いというものなのかと。
一方、人間とは一人では生きられない。
お互いに協力しながら、助け合いながら生きていけるものだと
思う。
困っている人、傷ついている人がいれば、やはり、
そっと手をさしのべ、助けるということは、
人としてすべき当然のことだと思う。
しかし、あまり遠かったりすると、実際に近くまでいったり、
関心を寄せ続けることができず、心が離れてしまうこともある。
「よりそい」には身近だと感じることができる距離というものが
前提にあるのかもしれない。
あまりに遠くからでは、その目的を果たしづらいのかもしれない。
「よりそい」とは、寄って、添うものだから。
また、「よりそう」とは、抽象的な言葉になりがちであるが、
役に立つためには、より具体的なことをしたい。
また、瞬間的な寄り沿いは、容易であるが、継続して長きにわた
って応援し続けることは難しいかもしれない。
と、最近、情報も少なくなってきているウクライナのことを
思いながら、そんなことを思い、一種のジレンマも感じる。
一人の人間。自分ひとりが生きていくのが精いっぱいなので、
他方に目を向け、多くの人に寄り沿って生きることが難しい
かもしれない。
でも、出来る限り、自分ができることがあれば、気持ちがそちらに
向くのであれば、応援を続けたい。
今、改めて世界に目を向けてみる。
自分が生きる世界の小ささ、自分がいかに、何も大したことが
できない存在かを改めて知る。中途半端だとも思う。
でも、何もできないわけではない。
今日で会う人との関わりのなかでも、できることはあるし、
海の向こうで気になる人があれば、できることをすればよい。
寄り添う生き方。
思えば自分自身が、多くの方に支えていただき、生きている。
気づかないだけで、多くの人のおかげで・・・。
他人事として片づけずに、「自分事」として、物事をとらえ、感じ、
行動したい。もし、自分がそうだったら・・・と。
そう、思えるかどうかが、寄り添いの第一歩かも・・・。
そのことを忘れずに、今日も1日を生きるとしよう。