おかしいな。なんで?腑に落ちない。なんで、今なの?なんで?
と、この7~8年。心からおかしいと思うことがあっても、
世の中は、そちらの方向に動き、納得できない自分がいる。
自分はよっぽどマイノリティなのか?と思うことに慣れているが、
それでも、恣意的に世の中が動いているのではと、つい猜疑心をもつ
のが当たり前になりつつある、今日この頃。
物事をまっすぐ見るということは、目の前の現象を
ただ、鵜のみにするということではなく、
俯瞰して、しっかり見る、いろんな視点から客観的に見て、
そして、自分の考えをしっかりもつと言うことだと思っている。
どんなときも、おかしいと思ったら、「それはおかしいのでは?」
と言える人がいないといけない。
自分の意見を伝え続けることで、
周囲に伝わり、風を変えることもできる。
もちろん、言い方はある。言えばいいというものではない。
民主主義、民主主義と今、言っているけれど、
暴力の対局にそれがあるということのようであるが、
思っていることをきちんと口に出す、自由に議論することができる
ということこそが、民主主義ではないか。
それって、できているだろうか?
最近、民主主義の下で、と改めてよく耳にするが、
私にとっては、少しうすら寒い感じもする。
もっとモノを言うことを生業としている人たちには、命を賭けて
言論の自由を実践してほしい。討論してほしい。
きちんと見えるコミュニケーションをしてほしい。
批判や否定から入るのではなく、あくまでもポジティブに。具体的に!
ぬるい、あまい。伝わっていない。
そして、なんとなく、流されていく。では未来がない。
今、この日本は、もっと内面から自立しなければ。
そのためには、ひとり一人がもっと学び、世界に目を向けなければ。
もちろんそれをしている若者たちもいる。
その声をもっともっと世に出していかねば。
社会は未来を生きる若者たちのためにこそ、あるのだから。
と、思っている。
先日、パリ祭があった。市民が自由を勝ち取った記念日。
ふと、その時代を自分なりに想像を膨らませながら、
今の日本を改めて思う。憂う。なんとかせねばと思う。
まず、己がもっと知見をもつこと、良質な学びを増やすこと。
そして、自分にしかできないことを、必ず実践すること。