15年前の中越沖地震で被災した新潟の方。酒屋さんを営んでおられた。
店舗・家屋が倒壊し、そして再建。
「崖っぷちからの出発です。どうやって世間に知らせたらいいですか?」
と、会いに来てくださった女将さんと娘さん。
日本海が目の前に広がる素晴らしいロケーションのお店のことを
この「崖っぷちからの出発」としてPRしていこうと作戦を決め、
以後、このお店を細々ではあるが、応援し続けた。
おかげで地元紙はじめ、いろんなところに掲載され続けてきた。
細々ではあるが、ずっと応援を続けてきたのは。
崖っぷちからがんばろうとする母娘の強い意志に魅かれるものが
あったのだ。
ディナーショーにも来てくださったり、新商品ができたらすぐ相談して
くださったり、お店の広報誌を「のんべえ毎日」と名付けたら、とても
喜んでくださって採用。一緒に食事したことも何度もあった・・・。
わたしもいつしか、新潟のファミリーであると思っていた。
コロナで観光客も減って、そして老い、病との戦い・・。
そんななか、母娘は協力してがんばってこられた。
昨年は、私の両親のことを、心からお悔やみいただき、
励ましてくださった。
とにかく、元気いっぱいの女将さん。
先日、夏のDMとともに、ウクライナを応援しようと、ヒマワリの種を
送ってくださったのも、この酒屋さん。
連絡がしばし途絶えていたので、お酒の注文とともに再度連絡をしてみる。
二週間ほど返信がない。
連絡が途絶えていたことへの心配が的中してしまった。
女将さん、先月旅立たれたとの報告。
「7月会いに行きますよ」
とメールしていた2日後のことだったようで。。
容態が急変したそうだ。
私との再会も楽しみにしてくださって・・・のことだったとお聞きし、
何とも言えない気持ちになる。
ひまわりの種を、かかわる人たちに託して、おかみさんは旅立った。
ああ、もう一度、二度、三度 会いたかった。
「耳が聞こえづらくて・・・」
とそう言いながら、再会した1年前。
いろんなギフトにも挑戦していただいたり、無理もいってきた。
それをいつも楽しんで、やってくださった。
今、お店から見える美しき日本海の眺めを思い出しながら
女将さんのことを思い出している。
あの笑顔が、大きな声が、消えない。
早く、ひまわりの種をまかないと・・・。
そう、彼女がひまわりのような存在だった・・。
感謝とともに、祈りを捧げたい。
どうぞ、安らかに。そして子供さんたちを見守ってくださるように。