揺れ動く、「自由」。

ああ、日本で良かった。日本人で良かったと思うことが多い。
今のところ・・ということにはなるが。

理不尽な戦争に巻き込まれ、住む場所を失ったり、
大切な人と別れ別れにならなければならない・・・・ということは、
今の日本にいる限りは、大丈夫そうだ。

次はアメリカでの女性にとって、決して自由とはいえない
法律の判決。そう、中絶の権利を認めないという。
宗教によっては、それを歓迎する向きもあるが、
(その宗教は自殺も認めない)
しかし、この現代社会では、しかも世界を代表する自由の国
であるべきアメリカで、そんな判決が出たということは、
驚きであり。悲劇だ。
人には、さまざまな事情があるにも関わらず・・・それよりも
いのちの尊厳を優先。
命はもちろん大切であるが、どうも男性社会の名残というか、
時代錯誤でしかないというか・・もし、これが日本であったら・・と
ぞっとする。

と、日々の報道に接し、複雑な思いで、世界と対峙する今日。

国を越えて、世代を越えて、性を越えて、人は自由であるべき。
それが、さまざまな観点から切り崩されつつある現在。

社会の分断がどんどん深まる。
お互いを尊重するとか、配慮するとか、相手の立場に立つとか
そういう価値はない人がいる。権力者の判断で多くの人が
自由も、夢もなくす。

法の下の暴力、とそんなことさえ思ってしまう。

21世紀の社会は、デジタルコミュニケーションは進化しているが
人としての生き方についての模索と、実践においては、後退しては
いないだろうか?

自由であり続けたい。自由に生きたい。

そんなことを改めて思うほど、理不尽な不自由があちこちに
現出している。
貧困がさらに増える心配も・・・。

誰一人取り残さない社会・・という世界と、この現実の社会は
同じ世界のことだろうか?
と思うことは多々ある。

それでも、今日も元気に自由に生きられることにただ感謝して
悔いない1日を創りたい。

一番の幸せは、自由であること。
これだけは間違いない。

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