即興力を生かす。

ピアノに向かうと、そのときの感情がキャンパスに絵を描くように
メロディーとなって現れる。
指の赴くまま、心の動くままに、音を重ねていくと一曲の小品ができる。
そのひとときを、たまに楽しんでいる。
ピアノがなく、歩いていて歌うときでも、同じことが楽しめる。
ちょっと贅沢、心豊かになれる、ひとときでもある。
但し、録音や記録しないと、その時限りの作品として消えていく。

不思議なことに、子どもの頃から、この即興が得意であった。
何も考えなくても、鍵盤の前に座ったら、勝手にメロディが
出てくる、勝手に指が動く。
確か幼稚園の頃、オルガンに向かってもそうだった。
また、聞いたことある曲が弾けたり、勝手に伴奏を付けたり・・・。
演奏には、楽譜どおりきちんと弾くということはもちろん
重要であるが、即興や初見という力も求められる。
そのどちらもなぜか得意だった。

即興はまさにアドリブ。ジャズのごとく、すらすらと湧いてくる音を
弾いていく。初見は、知らない曲の楽譜を見て、すぐ弾けるかどうか
というもので、どちらも努力や練習を要さない、芸当?で
練習不足、努力が嫌いな
私には都合が良いものだった。
それで、ごまかしてきたことも正直、あったかもしれない。
アドリブができると、実はずるくなる。
しっかり記録をとったり、何度も練習しない。
その場その場で、ごまかせることで、満足してしまう。
努力した上で、アドリブができるのが一番良い。

自分のオリジナル曲のほとんども、もともと即興から生まれた。
歩きながら、浮かんできたメロディを記録してという流れ。
作曲とはそんなものだと思う。瞬間芸の集積なのだ。

この即興力。
日常では、柔軟性とか自由に置き換えることができるか
もしれない。
その場の発想、着想をうまくカタチにしていく。
もっともっと、意識して生かしていきたいと思う。

即興。
もっと人生のなかで楽しみたい。
ピュアな才能が見える瞬間でもある。
そのためには、やはり日頃からのインプットが
大切であり、
出会いがしらのアクシデントも意味
があるのかも。
もちろん新たな出会いが多いことも
豊かな発想につながるだろう。



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