いのち、尊し。

永遠の上司が、この2月に90歳で旅立たれ、やっと奥様にお会いすること
ができた。もう100日が経過した。
末期の入院の様子も教えていただき、そのときの写真も拝見しながら、
お元気いっぱいの時代の写真や、家族としてのエピソードもたくさん
お聴きしながら、ああ、こういう人生だったんだ。と新たな発見もあり、
静かに感動。幸せな人生を生きられたことが嬉しく、またその一コマに
自分も参加できたことをうれしく思った。
そして、人生は周囲にいる人とともに、育まれるものであることを知る。

一方、人生の相方が先に旅立つというのは、寂しいものであるのだなと
想像し、残って生きるという運命についても、考えさせられた。
夫婦が60年以上も寄り沿った時間というのは、本当にその人の人生そのものであり、
ともに生きた時間は永遠であるのだ。
親を亡くすのと、相方を亡くす心情は、どうやら異なるようだ。
奥様によると、
親が亡くなるのは悲しい、連れ合いが亡くなるのは寂しいそうだ・・・。
経験してこそ、実感できることなのかもしれない。

「いつ、帰ってくるのかなと今も思いますよ」
写真を見ながら、毎日話しかけておられるという。
愛する人との時間は限りあるけれども、一日でも長く、一緒に過ごしたい。
悔いはないけど、もっとこうしてあげたかった。と、今も思うことがあるそうだ。

いのちが寿命とともに絶えていくことは、寂しいけれど、いつかそんな日が来る。
一人の人が生きていてくれることで、自分の人生も豊かに、いきいきとしたものに
なる。
いれば当たり前かもしれないが、いつかいなくなるのだ。
いのちって、本当に尊い。
生きているだけで、存在だけで、それだけでいい。という思い。

いのちは尊いのに、
異国では、毎日多くの人が戦争で亡くなっていく。
まだ続くのだと、報道されると、人間は本当に愚かであると
嫌になる。
いのちこそ、すべて。
いのちは、尊いのに・・・。

改めて、仕事だけでなく、
生きること、命の尊さを改めて教えてくれた 上司のご冥福を
感謝を込めて祈りたい。
そして、一刻も早く平和な世の中に・・・。


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