気が付けば、マイノリティ。

わが人生、ふりかえれば、
人がやっていることをやらないことが多い。
結婚、運転免許、法人としての仕事、ゴルフ、そしてSNS・・・。
どちらかといえば、多くの人がやっていて、そうしていて当たり前のような
ことをやっていないことが多い。女性であれば、ということもあまり・・
である。
あえて、そうしている面もある。

結婚って?何のため?契約したら安心なの?
車はエコに悪いし、事故につながるし?いつか返納しないといけないなら。
仕事をする形態はさまざま、株式会社という箱でしか仕事はできない?
それ以外の極め方もあるだろう。
ゴルフは・・・環境にどうかな?あくまでも目的ある人たちの社交場かも?
そしてSNS。拡散する広がりよりも、孤独でも深く考え生きる方がカッコイイ。
コミュニケーションの量と質。後者が大切。
と、そんな具合に、若いときから、そんな具合にひとつひとつの当たり前に
疑問をもちながら向き合い、そうでないと生きられないのか?と試している
自分がいる。
結婚をいう選択をしないで、人生最後まで生きられるのか?
まあ、人さまから見たら、とくに男性社会の目線からすれば、おかしいと
思われる点も多いのだろうと思う。

考え方や人生の価値も違うから、それをやるという選択は
人それぞれ。
自分がいいと思うことをすればよいし、しなくてもいい。
することだけが選択ではなく。しないのもひとつの選択だ。
でも、人それぞれであるので、他の方の選択はもちろん
尊重する。その人に良ければ、良い。押しつけはなし。

と、思えば、どんどんマイノリティに突き進んでいるが、
ダイバーシティ、インクルーシブという言葉は、本当の意味で
すべての価値観にもあてはまってくるのかもしれない。

自由に、でも責任をもって。
自由に、いい調和を目指して。
違っていても互いに尊重、理解できればいい。
どこまでできるのか。わからないが、
自分らしく、個性的に生きるということは
時に勇気も必要。
と、ずっとそんな道を歩んできている。
最後、自分を貫き、「らしく」終われたら、ラッキーだ。

「十人いたら、十人することをやっていればいい」
と、子供の頃の反面教師の教訓が今にも生きているのだろう。
十人いたら、みんな違う。それぞれ違っていいと
ずっと半世紀以上、そのように思ってきた。
子どものころから、そのことだけが、きつく
沁みついてしまっているのだろう。



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