私のなかのゴミニケーション警報。


コロナが落ち着き、町に雑踏が戻り、久しぶりのリアルなコミュニケーション
を楽しみ、歓喜にひたる。観光客も戻ってくるようだ。
オンラインではできなかった、ライブな交流ができるようになって、本当に
良かったと思いつつ、まだまだ完全ではない。安心していてはいけないと
冷静に周囲を見守る。

コロナ前と比べて、リアルなコミュニケーションの最中でも、スマホを片手に
すぐに下を向いて、会話しながら操作している姿が増えている。
スマホが一体になっている人の暮らし。以前より顕著だと感じる。
コミュニケーションの仕方が、変わってきたと感じる。

また、電車に乗っても、全員がスマホを見て何かを見ている。
動画やゲーム。それぞれの時間を過ごしている。

そんななか、「コミュニケーション」について、改めて考える。
どんな時代になっても、生きている限り、伝える相手を選び、
有意義なコミュニケーションをしたいと思う。
そのやりとりを、生きる糧にしたいとも思う。

ゴミのような情報が溢れているなか、自分の考えが埋もれてしまって
はいけない。
コミュニケーションは自らが考えて、よく生きるための大切な手段。
どうでもいい意味のないやりとりに時間を費やすのは、卒業せねば。
時間がもったいない。1日24時間しかないのだ。
愚痴やネガティブなコミュニケーションも然り。

コミュニケーションがゴミニケーションにならないように。
コミュニケーションは成長のためにこそ、生かす。。

この空間に情報のゴミが散乱している。
人の頭、心は大丈夫だろうか?
眼に見えないから恐ろしい。

意識しないと、劣化していく。と自らを戒める。

カテゴリー: Essay (Word) パーマリンク