豊かな心さえあれば。

この春、生活と仕事の基盤であったふるさとの実家と
お店を火事でなくされてしまった知人のこと。
気になって、気になって早くお見舞いをせねば・・と
思いながら、メッセージを贈ったり花を届けたり・・
そんなこんなで3か月。
この6月から、ふるさとを出て、娘さんたちと以前
棲んでいた町で、新たな生活をスタートされた。

このタイミングでやっと会えた。
火事ですべて燃えてしまうなんて・・・。
大切な思い出の品がなくなってしまうなんて・・・。
創造するだけでも、耐えられないこと。
なんて声をかけようか・・・。
手あたり次第に、喜ばれたい、元気になってもらいたいと
食べるモノからCDから、いろいろ持っていった。

待ち合わせ場所に着いたら、
彼女は以前と同じように明るく元気に現れた。
「今尾さーん」
その一言で、ああ、変わっていない。大丈夫だ。
その優しい笑顔に、こちらもくしゃくしゃの顔で応えた。

それから、今回のいきさつや、今の心境をお聴きした。
「まあ、わが人生はそういう運命だったのかなと。
でも、そのおかげで本当にいい方に恵まれて
よくしていただいて。いろいろあったけど、これが
いい転機になったらと思えて・・・。
ものは無くなってしまったけれど、こんなに元気だし。
これから、新たにがんばります。」
なんと前向きなことか。と感動した。

そして。いろんな話をするなかで、
「ものはなくても、たとえ貧乏でも心が豊かが一番。
そうであれば、幸せを感じることができる」
という共感の結論に達した。

そして、
人から愛される人になる。
そのことは、生きていく上でもっとも大切なこと。

運命を受けとめ、さらに努力する。

人生にはどんな運命が待ち受けているかわからないが、
何があっても逃げないで前に進むことが大切だという
ことも学ばせてもらった。

彼女の新たなスタートを心から応援し、
一緒にできることがあれば、喜んでする。
まずは、少し休んでもらって・・。

何度も何度も固い握手をして、元気に分かれた。
梅雨のはじまりのはずなのに、とても清々しいひととき
であった。

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