実家の後片付けは、残った人に託された仕事のひとつ。
本人たちが、どこまで断捨離できていたかによって、
その仕事の労苦?ボリュームは異なるが、
自分の場合は、おかげさまで、まあまあパワーを費やす
ことになってしまったが、モノが多いということは、思い出も
多いというとらえ方をして、両親の人生を寿ぐ?気持ちで
そして、チョット宝探しの気持ちに切り替えて、
後片付けを続けている。
真夏になるまでにと、3回目の大きな片付けDAY。
専門業者さん4名に来てもらって、事前にチェックした
さまざまな荷物を仕分けし、トラックに積み込んでいく。
私に与えられた役割は、そのものの情報を見ること。
これは捨ててよいのか、とっておくのか?
まあ、ほとんど前者であるが、それでも今は捨てられない
というものも少なくないため、やはりすべて目を通すことから
始まる。そして、その上で、業者さんは素材別に分別して、
トラックに積み込む。
例えば、あるアルバムを見る。私が見るのは、これは誰が写って
いるとか、いつのもの?といったチェック。
業者さんは、これは紙とプラ、金属に分けるか?
リサイクルに回すか?というチェック。
同じものを見ても、見る目が違う。役割が違うとまったく違った
見え方になるのが、面白い。
そして、見るより、仕分けしていく方が断然に早い。
そんなこんなで、5名でまる一日かかって、トラック1台がいっぱい
になる。
「もう、満車になりましたので~」
荷物を詰め込むだけ詰め込んで、おしまいとなる。
父母の思い出は、トラックに乗って次の工程に向かう。
半ば、「いってらっしゃい!」の気持ちで、トラックの出発を
送る。
一部残ったゴミは、自分たちで処分することになるが、3回目のトラック
による搬送が終わり、実家は、かなりきれいになった。
「新築のときみたいに、すっきりしたね」
新築時の時のことを知っている妹が横で、感動している。
私は、ひとつ仕事が片付いた安堵と、なんだかかなり捨ててしまった
ので、複雑な気持ちにもなる。
心のなかで、
「ごめんね。でも、仕方ない。誰かがいつか捨てなきゃいけなかったから。
ごめんね」
と両親に詫び、理解を乞う。
片付けはまだまだ終わらない。
一番のクライマックスは、家自体をどうするかのタイミングだ。
それまでは、まだまだぼちぼち、両親の想い出を辿りながら
わが人生の将来も考える心の旅をさせてもらう。
それにしても、この片付けの専門業者、大変多忙であるそうだ。
高齢化社会は、この業界にプラスの影響を与えている。
そして、今回の経験は、私にとってこの業界の人たちと出会い
関わり、世界が広がったという点でとてもいい勉強になった。
そして、何より今回の経験を通じて得た教訓は、
「モノより思い出が多い人生を!」
情報を見る人、素材を見る人。
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