結局は「人間力」と愛。

先日、とあるセミナーのお手伝いで、おもてなしの話を少し聞くことができた。その講師の方は、日本を代表するサービス業のおもてなしを
組織的に手掛けておられる方であった。その方のお話から感じたことは、結局、おもてなしとは、かかわるすべての人の「人間関係の快」を生み出すこと。その方のお話を通じ、私なりに改めてそのように解釈をした。おもてなしする方も、される方もどちらも楽しく、わくわく、ああよかった!とならなければ、それは本当のおもてなしではない。少なくとも「やらされている」という感覚、または対応されて苦痛や不快を感じるようであっては、意味がない。人を喜ばせることが好き、「ありがとう」と言いたくなる、「ありがとう」と言われるとうれしい、また行きたくなる、会いたくなる・・・このキャッチボールが大切で、そのことがCSはもちろんのこと、従業員のESにもつながり、組織の成長にもつながる。これは、ビジネス的な計算だけではなかなか成立しない。おもてなしとは、生きがいを求める人の潜在的な欲望に火をつける役割をも、もっているのではないだろうか。
話は変わるが、人を喜ばせること、驚かせること、感動を与えることはうれしいこと。私自身がそんな風にいつの間にか、それを目指しているというかそのように思考して生きるようになってきた。
それは、どんな仕事も、関わりも、自分が投げる球に責任をもちたいと思うから。その責任とは、受け取る相手に「快」「幸」と思ってもらえるようにするということだ。そのためには、相手と真剣に向き合い、その方が欲することを探り、そこに届くようにコミュニケーションする。この道には、人間力が不可欠であり、相手を思う気持ちが大切だ。
どんな教養、知識があるよりも、家柄や経済力があるよりも、人間力と愛さえあれば、それなりに自分自身が幸せに生きていけるのではないかと最近、考えるようになった。その力を身に付けて、出会った人との「快の関係」を育み続けたい。
それを目指し、もっと努力していきたい。
改めて、「おもてなし」とは、サービス業や観光向けの言葉ではなく、普遍なる人間関係の快を生み出す基本精神である。

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