「愚痴」は言いません。

「大変ですね~。いつでも愚痴ってくださいね。」
とやさしい言葉をくれる人がいた。
愚痴か~。
有難い限り。
聞いてもらえるのは時にうれしい。

でも、愚痴は言わない。言わないようにしたい。
なぜかというと、この二文字が好きではないから。
とても見た目に、そして音的にも美しくない
漢字だと昔から思っているから。

だから、愚痴を言う人は、美しくない。
愚痴を言う人は、賢くない。というイメージだ。
行動は人を現す。

英語で愚痴に相当する言葉・・・どうやらcomplaintsが
近いようであるが、こちらの方が、
まだソフトでいいが、苦情とか不満
という意味でもあるようで、日本で言う「愚痴」
というのとは、また違う気もする。

まあ、いろんなことがある日々、
聞いてもらう存在も大切かもしれない。
ま、家族や親しい人に、日々の出来事を
いろいろさらけ出したり、相談できるのは
とてもいい。そのために身近な人がいてくれる。
「ま、いろいろあるけど、がんばってね」
と、前向きになるためのコミュニケーション
であれば、建設的で良い。
でも、私には「愚痴」という二文字からは、
前向きオーラは感じない。

一方、孤独であっても、ぐちゃぐちゃ言わずに
ひとりで静かに生きる人の方が美しいと感じる。
人のことをどうこうとネガティブなことばかり
話すよりも、自分と向き合い、作品づくりに精を出す、
勉強する、次のことに熱中する。
こっちの方が断然素敵だ。

とはいえ、愚痴を言いたくなることが多い
世の中かもしれない。
私も日々、いろんな話を聞かせていただいている。
考えようによれば、愚痴をいえる相手は
限られた人。と思えば、これもありがたいこと。
聞かせてもらえるということは、
心の叫びを教えてもらえるということ。
信頼されていなければ、愚痴は言われない。
と思いたい。
世の中には、そこまで考えず、誰彼にも言葉を発する
人もいるかもしれないが、そこは用心だ。

自分が発する言葉には責任がある。
気を付けて、心して。
でも、心許せる人がいたら、聞き合える人がいたらいい。
すっきりしてがんばればいい。
常に、前向きに。愚痴のままで終わらないように。

でもやっぱり、言いたくない。


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