議論すること、考えをもつことが当たり前になるように・・。

つい最近のことだ。年齢が一回り以上自分より若い世代の人に日本の国について、政治について「どう思う?」ときいたことがある。その人は「普通です」と答えてくれた。これが結構ショックだった。
自分が住んでいる国や町や環境について、自らの意見を述べない。関心がないのか、わが身にふりかからないことはとりあえずいいのか、面倒なのか。
今の政治は支持されているのではなく、無関心の結果、あるいは消去法でそうなっているだけであり、あるいは実際の数字が操作されていることもあるのかもしれないが、国民の関心の現状とは差があるように感じる。
選挙権の年齢を引き下げる真意は何かわからないけれども,もし、若い人が政治に対して「ふつう」「別に」としか感じていないのが現実ならば、単に年齢を引き下げるだけでは疑問の結果しか出てこないような気もする。
真剣に世の中のことを考えている人たちは、今、怒っている。と私にはそう感じられる。(少なくとも、私はそうであるし、私の周囲にもそういう方が少なくない)
ある友人がママ友に、政治や国や平和などについて、話題をふっても会話になる人は1割に満たないと残念がっていた。
電車に乗ってもどこへいっても、皆さん下を向いてスマホと対話?している。いったい、何に夢中になっているのだろう。自分の世界に引きこもっている。
これでいいのか?にっほんは?
自分のこと以外無関心。でいいのだろうか?
日々、心配なことが増えていく・・と感じるのは私だけであろうか?
とにかく議論をし、考えをもち、それをしながら、世の中をあるべき方向にお互いに導かれていくということが置き去りになっている。
諸先輩たちの学生運動の時代が良かったかどうかはわからないが、いい意味で熱き時代だったのだろう。そんな先輩たちからみたら、今の日本はどう映るのだろうか?
目の前の暮らしだけしか見なくなっていることに、日本の未来に影を感じる。
もっと議論しよう、もっと意見を交換しよう。愚痴はいけない、文句もいけない。建設的に議論する。そんなことができる仲間がいることが幸せではあるが、ここままでいいとは全然思っていない。

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