語り継ぐ、続ける。長崎の人々への敬意。

ウクライナのことが気になって、なんだか落ち着かない日々を
過ごしているなか、いつも長崎や広島のことが浮かんでいた。
とくに自分にとっては、長崎は原爆以前の歴史から強い思いを寄せて
いたため、今回のことに重ねた人々の祈りや活動が気になっていた。

長崎の原爆資料館に隣接して、国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館
という建物がある。資料館含め、以前にも見学したことがあったが、
久しぶりの訪問だ。国内外からの千羽鶴が多く飾られている資料館
のロビー通路から、この祈念館への入り口へ続く。

入口でポスターをみつける。どうやら、朗読をやっているようだ。
「聞いてください。私たちが読む被爆体験記」と書いてある。
何か重い扉を開くような、勇気が必要な、そんな空間であるが、
よし、入ってみよう!と思い、中に入る。

原子爆弾の投下により亡くなられたすべての方々への追悼と平和祈念
を行う場所として、2003年に開館。約19万人の死没者の方の名簿
が登載されている。 
薄暗く、静かな館内を誰かに導かれるように中へ進んでいく。

被爆者の方々を撮影した写真の企画展示を過ぎ、小さな空間に2~3名
の女性たちがおられた。この方たちが朗読会の主催者であった。
「お時間ありますか?私たち、ここで被爆体験の朗読をしています。
良かったら5分でも10分でもいいですので・・・」と声をかけられた。
もちろんそのつもりで入ってきたので、「はい、聞かせていただきます」。
と、導かれ椅子に座る。そのときは来館者は私のみであった。

まもなくそのなかの一人が、被爆体験記を朗読される。
どうやら、この記念館所蔵の通称「黒本」という被爆体験記集から
体験記を選び、ボランティアの方たちが交代で、毎週末、読み続けておられるようだ。
今回は、遺族の体験記だけでなく、有名な1枚「焼き場に立つ少年」を撮影した
アメリカ人カメラマン  ジョーオダネルが遺した写真の解説も朗読された。

その写真、さっき資料館で久しぶりに見て、解説を読んでショックを受け
ていたばかりで、続けてこの作品に触れる偶然に驚いた。
そして、「トランクの中の日本」という本にこの作品やメッセージは
収められていることを知った。
このように情報を見る、聞くことで自分の記憶にしっかりインプット
されていくのだ。

私は彼女たちが読む朗読の内容自体にももちろんであるが、この活動を地道に
続けておられる姿に感銘し、聞いていて涙があふれた。
長崎の人たちは、自分たちのあってはならない無残で苦しい、不条理な経験を
70年以上経った今も、次代に伝え続けようとされている。
被爆者たちがどんどん少なくなり、生き証人がなくなってしまう。
だからこそ、の想いでこのような朗読の活動も存在し、続けられているのだ。

特別な職業の人たち、ではなく、一般の方々がボランティアでこのような
活動を続けておられる。この経験が尊いことだ。
一人ひとりができる活動を続けることで、思いはつながっていく、伝わっていく。
そう信じて皆さん取り組まれている。
なのに、今回の戦争・・・。心が痛い。痛すぎる。
長崎や広島の皆さんの想いは、いかほどであろうかと思うと、たまらない。
でも、このように活動を続けておられるのだ。素晴らしい!頭が下がる。

この出会いに感謝し、取り組みに敬意を表し、私も応援させていただき、
また自分なりにできることをやっていくことを改めて決意する。

たまたま、近年、朗読(劇)に関心を寄せ、その活動にも関わっていること
からも今回の朗読に足が向いたという背景もある。
朗読。生の声で、声だけで伝えるシンプルなメッセージ。
俳優や役者だけでなく、一般の方でも思いがあれば、十分できる、むしろ
想いが伝わる素晴らしい伝達方法である。そのことを改めて体感した。
ネット時代のなかで、超アナログな朗読。今こそ、肉声を届けることが
必要なのだ。生の声で・・・。

こちらのボランティアは、

被爆体験記ボランティア 
被爆体験を語り継ぐ 永遠(とわ)の会
という。
https://www.peace-nagasaki.go.jp/towanokai

皆さんの想いが届き、1日も早く戦争が終わるように。
核使用なんて言うバカげたことは絶対に、絶対にないことを
祈る。

厳かな場所であるのに、無理を言って撮影を
させていただいた。
ぜひ、長崎で、ネットでもこの活動を体感いただければと思う。




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