「知らない幸せ」を求める

世界で一番暑いとされるエチオピアのアッファールという町。盆地にある。そこに住む人々は、その暑さのなかで生きるのが当然と思っているから、その暮らしに何の不満もなく、ここが最高の自分たちの棲家だという。そしてそこは自由だから、自分たちが生きる最高の楽園だ、神様に感謝だ・・・とそこの部族のボスが話しているインタビュー番組を見て、そのいい表情に感動、日頃、情報もモノも人もあふれかえった社会でごたごた生きている自分が恥ずかしく思えた。人間知らない方が幸せなことが多い。もちろん知る~ということは、大切で、一番知るべしは、自分のことだ。どんどん外にばかり注意が向けられることにより、つまらない争いや戦いが始まる。見えや虚栄も生まれる。一度、便利で快適という生活を知ってしまうから、弱い人間はそればかりを求めるようになるが、そんな生活と関係なく、人も訪ねてこない、静かな町で生きていれば、それが一番の平穏なる暮らしがいいのかもしれない。以前東京暮らしをし、今田舎へ戻ったという青年に何が幸せ?ときいたら「テレビと布団とごはん」と笑いながら言った。二度と東京には住みたくないという。まあ、テレビがないと困るというのは現代人だからわかるとして、人がいっぱいで、忙しすぎるそんな東京は吐き気がする、だから田舎に戻ってきたと笑顔で語ってくれた。
狭い世界の中で、うわっつらの情報の洪水におぼれそうになりながらも、うわっつらの富を求め、せこせこ生きるのと、猛暑をもたらす天にさえ感謝し、ゆとりをもって、そこの水と塩と塩と交換した小麦をこね、石で焼くパンをごちそうとおいしく食べる・・・その人々の生き方と、どっちが幸せなんだろう。
スマホも、個人情報もどうでもいい世界になってくる。本質を知ること、知らないことの価値を知ること。そこに至る人になれたらいいと思い、自分のことがやっぱり恥ずかしく思えてきた。

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