毎日が終活!のつもりで。

もしもの話。
もし、重大な病気がわかって、余命いくばくも・・・となった場合、
自分自身はどうするだろう?
そして、家族はどうするだろう?
そんなことを考えてみる。誰にもありえる話だ。

もしもの話だから、わからない。
でも、もし、毎日を生ききって、悔いない毎日を過ごしていたら、
きっと残り少ない人生であっても、納得できるのではないか・・。
人生の終わりを宣告されるのは、確かにつらいけど、
宣告されず突然に亡くなってしまう場合も多い。

余命がわかるのと、わからないのとどっちがいいのか
わからないが、
どんな人にも明日のことはわからない。
でも、今日も朝を迎えられたことは確か。
だから、今日1日が最後と思って生きれば良い。

そう、毎日が終活。と思えば良い。

無駄に長く生きたくはないが、生きる以上は、
毎日、今日という一日を存分に生きたい。

そして日々訪れる様々な事象を自然に受け入れたい。
いつか壊れていく、いつか痛んでいく。
そりゃ半世紀以上生きていれば、故障もすれば、
機能不全になっても何もおかしくはない。

むしろ、毎日元気であることが奇跡。
決して当たり前ではなく、
そしてかけがえのない1日、
与えられたギフトなのかもしれない。
と思って今日を生きる。

そして、人生のラストシーンは・・・。
最後はピアノを弾きながら 
突然死・・・なんてのがいい。
が、
そんなうまいこといくわけない。

とにかく、毎日を終活気分!で
わが人生悔いはなし。

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