ウクライナ情勢によって、どうなるやら?
と半月以上、やきもきしていたのが、新聞記事の掲載のこと。
3月半ば 新潟日報の投稿欄に掲載されてから、知り合いの記者から
「読みましたよ。良かったら、今尾さんを取材したいのですが・・・。」
とのメールがあった。経済の担当者だ。
彼が20代の時から知っている。今やベテラン記者。
コロナ禍ということもあり、メールとオンラインでの取材対応となり、
インタビュー風景の写真は、地元で仕込んだ3月後半。
モノクロで掲載となるか、カラーかわからないので、両方用意して送る。
新潟での17年間の仕事についてのふりかえり、新潟県人の広報について
変化してきたこと、中小企業へのアドバイス・・・など、いろいろ話した
けれど、どこをどう切り取り編集してくれるのか・・。
半月も連絡がないと、このまま掲載されずに‥というケースも多いが、
今回はぜひとも掲載になってほしい。新潟で広報の仕事をしてきて
新聞記事で締める。というのはとても自然で、かつ最適な結びとなる。
掲載される前日の夕方以降、急になんども記者から連絡が入りはじめる。
記事になるときは、記者が書いた文章をデスクがチェックし、いろいろ
確認や細かな修正が入る。
ああ、これはいくな~と久しぶりの緊張感。
さまざまな細かい情報の確認だ。間違ったデータは掲載してはいけない。
ネットであればすぐ直せるが、新聞の場合は、刷ったら最後だ。
さて、どきどきワクワクの朝。
7時すぎ、まず一緒に仕事をしてきた公務員の方から
新聞記事を見たと、その記事の写メとともにメッセージが届いた。
メールされた画像で恐る恐る自分の写真を確認する。
まずは写真が気になる。そして内容確認。ああ、ここを書いてくれたんだ。
ああ、だから電話でここを確認したんだ・・。限られた枠で、わかりやすく
まとめられた記事を読んで安堵する。
お久しぶりの方から、いつも応援してくださる方・・・。昨日は夜の21時すぎるまで、
記事を見たとの連絡が続く。
どちらさまも、これで終わりという感じではなく、これからもお願いしたいという
メッセージだ。新聞で会えたのが嬉しいという声もあり、こちらも嬉しくなる。
自分のインタビュー記事。久しぶりだ。
今回、新潟で広報の仕事をして、いい節目となった。
記者も知り合ってから十数年の間、文章力に磨きがかかった感がある。
みんな成長したこの歳月。
改めて、新潟のみなさんに、心から感謝とエールを!
※掲載は4月19日 新潟日報 朝刊 経済面です。