非難と制裁よりも、仲介と対話を。

この戦争は一体なんだろう?
結局、だんだんと、なんだか当事者以外は、どこかしら他人事のような。
報道も、毎日しつこいぐらい流されていたコロナの感染状況に代わって
最近はウクライナ情勢がトップニュース。
映像のなかの戦争が日常化している・・。
そして各国の非難の話、制裁の話ばかり・・・。

もう惨い現地の様子は見たくない。
早く終わらせるにはどうしたらいいのか?
どうしたら、ウクライナの人を救えるのか?
どうしたら、この狂気を止められるのか?
なんだか結局はさまざまな人たちの
コミュニケーションのすれ違いから、溝が生まれ。
この悲劇が始まったように思えてならない。

コミュニケーションのズレ、間違った情報の伝達。
また考えの違う者同士が、お互いに理解しようとしない。・
対話をしないから、この状況が生まれているように思えてならない。
嘘とわかっていても、立場を貫く。こんな生き方は本当に幸せだろうか?
とも思える。

非難の声をあげ、制裁を強める各国のリーダーたちも、
そうじゃなくて、自分が当事者に直談判していって、
世の中はこうなっている!と
面と向かって言えないものだろうか?
ただ武器を与えて、がんばれ!という応援は本当の応援だろうか?

親しい知人が、今こそ、国際軍が必要。
ウクライナを救わねばと言っているが、本当にそのとおりだ。
どうしたら、救えるか。どうしたら終わらせることができるか?
の答えは、避難と制裁・・だけではないと思えてならない。

今の私には、自己満足かもしれないちっぽけな額の寄付や
祈ることぐらいしかできず、一緒に泣くことぐらいしかできず、
ふがいない。声を上げる人もいる。それはそれでいい。
それぞれができることをやればいい。
でも、世界を本当に動かせるのは政治の力
あるいは、宗教の力。
そのリーダーは今こそ真の役割を果たすべきではないか。
説得しにいけるリーダーこそが、真のリーダーだ。
「ウラジミル、本当に本当にこれでいいのかな?」
と言える人、いないのか?

日常に置き換えても
相手への非難や制裁だけでは、誰もハッピーにならない。
それどころかそのつけが、自分に、毒のように回ってくる。

今回の戦争。
日本も他人事ではない。

とにかく、涙でインタビューに応じる人たちの姿を見てしまうと
たまらない毎日。このことに慣れてはいけない。

いろんな哀しみを抱きながら、今日もはじまる。
せめて、自分ができること。
しっかりやろう。
そして、人の痛みが分かる人、寄り沿える人に。
コミュニケーションを大切に。






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