桜は咲き始め、満開、散り際と短い時間で、その変化を楽しませて
くれる大変ドラマチックな存在だ。
そして、私の場合、今年ほど、このさくらに思いを馳せるときはなかった
かもしれない。
それはやはり、両親の旅立ちと関係がある。
昨年のさくらの花が咲いたころ、母が旅立ち、父の名前が記された
この提灯が寂しそうに母を送っていたように見えた。
そして、今年は、ふたりとも旅立ってしまい、さくらの花に二人を
重ねることになった。
今年も飾っていただいたこの提灯は、まさに父と母の存在の証し
のひとつにも映った。
美しい桜吹雪は川面にも降って、水面一面が真っ白になった。
最後の最後まで咲き続ける桜の花と、風にゆらぐ父の提灯。
何度も何度も父の提灯と桜の花を撮影する。
そして、
電車が来るまで、このちょうちんの前に立ち、
父に話しかける。
電車が来た。もう行かねば。今日が見納めとなる。
「お父さん、また来年。ここで会おうね」
なんだか、父の提灯がにこにこ笑っているようにも、また
ちょっと別れを悲しんでいるようにも見えた。
二人がいなくなった春。季節が変わるごとにそのことを実感
してしまうのだろう。
人生はさくらのごとくドラマチックだ。
だから、美しい。
「来年、またここで、一緒に桜を見ようね。」
変な人のごとく、ちょうちんに何度も手を振り、
あわてて電車に乗り込んだ。