日本のまんなかでは、さくらが満開になった。京都も東京も同じく。
新潟はまだこれからのようだ。
満開というこの限られたひとときは、毎年のことながら、
なんともいえぬ高揚感がある。
いつまで咲いてくれるか、いつ散るか・・・とハラハラドキドキ。
さくらならではの、緊張感があるのだ。
今しかないと思うと余計に大切に思えてくる存在。
それに加えて、自分にとって、さくらは両親の思い出と重なって、
思いが募る。
ふるさとのさくら。地元の人たちで飾り付けをされた提灯で「手作りのおまつり」。今年は先週末にみなさんで清掃をされ、提灯を取り付けられたとのこと。
観光地でなくても、地元の人たちが地元で楽しみ、愛でるために、長年守ってこられた。地元の誇り。この地道な歴史に敬意を表したい。
日本各地には、それぞれのさくらの保存、楽しみ方があるのだろう。
道行く人が必ず、撮影をしている。それぞれが小さな幸せな春を満喫している。
わいがやのない、静かな花見。これもまた良しだ。
実家での用事を済ませて帰り道すがら、桜の提灯をひとつひとつ見ながら
駅に向かう。父の名前の提灯はいくつあるのか・・と。
そんな行動が父との再会の楽しみとなった。
これから毎年同じことをするのだろう。
子どもの頃から乗っている名鉄電車が通る。
てっちゃんではないが、
桜と電車のマッチングにプチ感動。
思えば半世紀以上、私が生まれる前から変わらず
この桜も、電車も存在し続けている。
ああ、春だ。ああ、ふるさとだ。
何気ない景色なのに、桜が咲くだけで、特別な時空になるのだ。
それぞれの地元で、それぞれのさくらをそれぞれ愛でる週末。
それぞれの思いを重ねる特別な時間・・・。