「あ、あったあった。」の幸春。

各地で桜が開花しはじめている。冷えたり、降ったり、となかなかすっきり
しない空ではあるが、それでも確実に春がやってきた。
母の葬儀から1年の今日。あの日は桜が満開であった。
斎場の傍らに桜の木々が立ち、その花に見送られて車に乗り・・・の
あの時を鮮明に思い出す。

そして、今年も桜は咲いた。
「毎年、桜が咲いたら思い出してもらえる。お母さんいい時に逝ったね」
と言われる弔問客の方もおられ、確かに、と思った。
あの日以来、私のなかで桜=母の旅立ちとなったのは間違いがない。

その桜咲く中、父は母を見送った。かわいそうな再会、別れ・・・。
葬儀のあと、近所の方が教えてくれた川辺にあった父の名のちょうちん。
昨年、初めてその存在を知った。今年もぜひ飾ってあげてほしい。
と主催者の方にお願いしておいた。そして、昨日すぐにみつけることができた。
駅からほど近く、すぐ目に入ってきた。

「あ、あった、あった。お父さんいたいた。」
と提灯に近寄り、思わずちょうちんを撫でる。

桜は母。提灯は父。こんな役回りか。
なんだか、母も父も生きているような気持になった。
地域の皆さんのご配慮にも感謝、感謝。

来年は連名の提灯でもつくってあげたい。
そうすることで、地元の皆さんが「あ!」と気づき、
二人を思い出してくれるかも・・・。

とにかく1日も長く、桜が咲いてくれていますように。
きっと、父母一緒に空から花見をしているだろう。

ささやかなことであるけれど、
私も「今」というこの瞬間を楽しみたい。幸春、来たる。

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