終わりは、次のはじまりに。

先日の新潟日報の記事を見て、何年もお会いしていない、
連絡をとっていなかった方々より、メールをいただく。
あるいは、こちらからも新潟でお世話になった方や、
この長きにわたる仕事のご縁をいただいた方にお礼の
連絡を入れると、懐かしいメールが届く。
皆さん、ご無沙汰している間の変化、近況を教えて
いただき、いずれも関わった日々、一緒に仕事をした
時代のことを懐かしく振り返っておられ、感謝の言葉を
添えていただいている。
そして現住所を教えてほしいといってくださる。
しばし、止まっていた関係が動き出した。

一方、これで新潟に来ないのか?
もう会えない?もういろいろ相談できない?
と心配される方も続き、安心していただくための
メッセージを返す。
「安心しました。これからもずっと宜しくお願いいたします」
と安堵いただくと、こちらも安堵する。
形が変わっても、変わらない関係を続ける決意も固まる。

そして、この間に出た仲間たちとの関係を新たに育む
活動を考え、実行しようと思い立つ。

この17年の軌跡は、ここで終わることはないし、
それで終わってしまうような取り組みではない。
ここからはじまる、はじめる。

早速、師匠と慕ってくれたありがたい方にコンタクトし、
今後のことについて、作戦会議を呼び掛ける。

ずっと永遠に続くことはない。
限りある命のなかで、節目ごとに成長をしたり、
変化を楽しんでいきたい。
だから、なんでも終わりははじまり。
終わらなければ、始まらないこともあり、
止まらなければ、気づかないこともある。

わが新潟の観覧車は、再び新たに回り始めるだろう。

続けることへの心配よりも、
一度終わって、始める時の方がわくわくする。
このグラン・ルー23年の中には、何度か
大きなそんな節目があったと懐かしく思い出す。

「なんといっても、愛の元気人ですからね!」
この役割は、まだまだ有効のようだ。

人生は観覧車のように・・・を、また実感。

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